山から狸が降りないといけないかな

普段は滅多に足を踏み入れないような都会に、

田舎の狸が山から降りてくるかの如く、この頃は足を運んでいます。

昔ながらの家づくりを広めていくに、通らなければいけないハードルがあるから・・。

 

古来から日本にある家づくりは、今では簡単には建てられなくなってしまったなみだ

構造設計者のなかでもそれを理解している人は僅かだという限界耐力計算という計算が求められるから。

替わりに「これって、この先何年もつんだろうか?」という家は容易にどんどん建っていく時代アンパンマン

伝統構法に科せられたハードルは大きい。

そうやって高いハードルがゆえに、伝統構法の家づくりは無くなっていく。

 

 

大工さん達が声をそろえ「この家なら大きな地震がきても安心だ」と言ってくれるというのに、現場で真摯に木の声を聞いて仕事をしている人達の声は届かない。

金物を法律どおり取付けたから今の家は『安全』だって?

そんな家も、継手の位置がタブーだったり、木材が細すぎたり、木の家の構造をまったくよく理解していない人が建てたんじゃないかと言う造りを、よく見かける。大工であって大工でないような大工が建てる家。

法律を守っていれば大丈夫なんだからアンパンマン

 

木の家は、その都度、現場ごと、材料ごと、造りごと、違ってくる。

そしてより良くしていくために「もっと出来ることはないか」「これで長く耐えられるか」と、常に自分の仕事に対して耳を澄ませらるようでなければいけない。法律のやっている事を疑うことも必要となってくる。自分の眼で、そして自分の頭で考える事が出来るのが職人だと思う。

でもそこって、本当に奥が深くって終わりがなくって、お金云々ではなくなる世界だから。

心が問われる。

 

法律を守っていれば「大丈夫」はない。

法律は常に後をいくものだから。

どの時代も、より良いものを造っていこうとするのは、

法律ではなく、人だから。。

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