備後手織中継ぎ畳表 一歩後退・・

 その後、徳さんの畳表の日々も
一歩前進、一歩後退といったところです・・。

 

糸が切れる問題解決がつかないまま、機織り機の命とよべるコテが壊れてしまったからです・・
樫の木でつくられた堅い堅いハズのコテ。
そのコテが割れてしまうなんて。。
きっとコテには無理な衝撃がつねに掛かっていたのだろう・・。
その結果のこと・・

コテを直すためには、かなりの時間が必要・・。
予備のコテも、穴堀の途中でやまっていたから・・。
穴堀用のノコも再度、改良を加えて、ノコからもう一度つくりなおさないといけない状態なのです。
なかなか、簡単にはいかない手織畳表の世界です。
予定していた『つながる家+つなげる家』の畳表の製作は、これで完全に離脱です
 

仕方がなく・・
師匠の来山さんに、『つながる家+つなげる家』のための畳表を製作依頼することになりました。
来山さんもこの頃、畳表の経糸の仕様を変えつつあって、その点において以前と変わらないスタイルで注文を依頼したいので、徳さんの抱えている課題の相談もふくめお伺いすることにしました。
再度、師匠の機織り様子を見たかったというのが一番にありました。しかし来山さんも注文がないかぎり、そう織る機会もなく、織るタイミングでお邪魔することは、そう出来ません。

しかしお伺いすると・・作業場では機織りの音が・・
私たちが注文した畳表を、早々と織り始めていたのでした!
しかも注文どおり経糸を以前の仕様どおりで
おかげでコテの動き、力加減、機織り機の稼動状態を再度確認できたのでした〜!
見る事で、徳さんの機織り機の不具合も確認でき、また一連の問題が、すべてひとつに繋がっていることを実感できました。

師匠の来山さんは、丁寧に弟子に教えるタイプの職人ではありません。昔気質で「自分で頭をつかって考えろ」といったタイプです。親切丁寧に教えて畳表が織れようになっても、機織り機を自分の身体の一部にしてしまわなければ本当の意味で『畳表が織れる』とは言えないからなのです。
来山さんの意図されるところは十分すぎるぐらい理解できます。

来山さん自身も、機織り機を自ら製作し、試行錯誤のうえに今があります。そして今もなお試行錯誤して機を調整して畳表をつくっています。
私たちも機織り機製作から自分たちで携わって、今、試行錯誤の最中です。きっと機織り機の製作に携わってなければ、見えてこなかったところがあります。機織り機につかう素材や、製作のための道具・・。

畳表が織れても、道具を直すことや改良する力がなければ、行き詰まるでしょう。
そういう意味で私たちは、本当に学ばせて頂いています。
来山さんは言います「動力の機織り機のように、動かせば織れるんではない、自分に考えがないと表はつくれん」と。。
師匠の歩んできた道を、同じように歩くこと、そこから師匠の言わんとする事が肌身で感じてきます。

一歩後退が一歩前進につながっていること。
糸が切れて、コテが折れて・・でも確実にその経験が蓄積されて、確かな技術や智恵の一歩となっていること、あきらかです。。

そう、私たちは「手織中継ぎ畳表」を織れるようになりたいのではなく、
そこにあるすべての技術や智恵を遺したいのだと言うことを、あらためて師匠から学んだような気がします。。

一歩後退も意味のあること、ヨシヨシで進みます〜




コメント

うわぁ!!早くお伺いしてみたいなぁ!

  • 青畳工房
  • 2011/12/09 16:28

まだ機がスムーズではないので、もう少し落ち着いたら、中継ぎ表の良さなどもアピールしていく活動をしたいと思っています。。

  • はしづめ
  • 2011/12/15 09:08