上棟!そして夕食会!

 
思った以上に順調に早く組み上がった『つながる家+つなげる家』の建て前。
無事に上棟となりました!さて、無事に棟があがったことを祝い、神さまにお礼を申し上げるお祭りをおこないます。

ん、神主さん?
と思いきや、大棟梁(ダイトウリョウと言ってます)です!じつはこの度、大棟梁は”太夫(たゆう)”さんの資格をとられたそうで、今回はじめてのご披露となりました!
大棟梁の祝詞を聞きながら、柱も梁も棟も傾くことなく、この家が末永く自然の災いから守られ、子々孫々と繁栄していくことを一緒に願いました。

神事はいつも心が透き通る気持になっていいものです。日本人として自然を尊び、多くの生き物(八百万の神々さま)と一緒に、今を生きさせて頂くという謙虚な気持がそこにあります。
和の家、この昔ながらの家づくりの精神がここにあります。

神事が形だけとなりつつある今、家の姿や形からも分かるように、自然を尊ぶ心や、生き物をいかす心がなくなってしまった事が同時にうかがえますね。。

 

さてさて身が引き締まるような祭祀も終わって、建て主さんから職人さんの労をねぎらうための夕食が振る舞われました。こういった昔ながらの「労をねぎらう」という気持がいいでしょ!
お金だけの関係ではない、互いが互いを思いやりながら進められていく家づくり。
いい家づくりには心を通わせる行為が、いたるところにあります。。

私的には、建て主さんのお父さんが振る舞ってくれる、お刺身の盛り合わせを密かに楽しみに(普段はベジなのに)
建て主さんより上棟のお礼と、今後も怪我もなく無事に職人さんたちが仕事をすすめられますようにとのお言葉をいただき、皆で乾杯をし楽しい夕食会が始まりました。

大棟梁は建て主さんのお父さんと熱く語り合っており、私たち若者衆はお酒もすすむなか今回の建て前の手応えや感想などで話が盛り上がります。はじめて昔ながらの建て前を経験したという大工さんたちは「かなりハイレベルな仕事や、とても勉強になった」と興奮気味の様子。また今回の家づくりが大工にとって難易度が高く、しかし心動かされる家づくりであったことを話しました。
そして大工や職人として良い家づくりをひろめていくために、やる気のある者が集まって勉強しながら精進をつんでいく機会をつくろうと言うことになりました。(←そのように私がもっていったという話も・・)
保守的な土地柄の愛媛では、職人たちが声をあげる事もなく、メーカー住宅が広まるばかり。そんななか、みんなで精進をつみながら、互いに各職人さんたちが手を取り合って、心からいいなあ〜楽しいなあ〜と思う家づくりを広めていきたいと思っています。

近々、職人たちの決起集会!を開きたいと企てております!
一般の方々も参加しつつ、職人さんたちの生の声をきくことができるような、みんなで勉強してみんなでイイ愛媛の家を建てる、そんな集まりをつくっていきたいと考えています。私にとっては、こうやって密かにずっと思い描いていた、そんな想いを、みんなにお伝えすることが出来た、、、上棟の夜になりました。 (これも建て主さんのお陰ですね)

  



翌日。。
さっそく「僕もこんな家づくりに加わりたい!」と熱い想いをもつ大工さんから、参加表明がありました
さあ、職人さんたちよ!いまこそ手を取り合って進んで行きましょう!
参加表明お待ちしておりますよ  

『つながる家+つなげる家』建て前

 
ここずっと原発のことが気がかりで仕事半分・反原発活動半分の私です。。
今できることをして、このさき後悔が無いようにしたい
私にとっては原発も家づくりもまったく同じなのです。。

そんななか『つながる家+つなげる家』の建て前がおこなわれました!
すべての憂鬱を吹き飛ばしてくれるような昔ながらの家づくりの建て前。ここには明るい未来がしっかりと感じられます。今回この貴重な昔ながらの建て前の一般見学をおこないました。

私としては撮影などや、自分自身が設計した建物の組み方の粘りを生で確認したりと、かなりいっぱいいっぱいの状態で皆さまには十分なご説明も出来ませんでした。しかし昔ながらの家づくりの建て前が放つそのパワーの前には、もう言葉はいらないこと、皆さんの様子から感じました。見て感じて頂いて本当に心から良かったと思います。
参加者のなかには、教育現場の方もいて「昔ながらの家づくりを伝える活動をしていきたい」と熱心に見学されていました。もっとこんな機会が増えることで日本の和の家の良さというものが再認識されてくることでしょう。。


 


そして何と言っても素晴らしいのは・・『つながる家+つなげる家』の建て前では、若手大工さんたちによっておこなわれた事!この貴重な機会に、体感したいという若い大工さん達が駆けつけてくれました!こうやって確実に、昔ながらの家づくりが次の世代を育むための機会となってくれていること、本当に設計者としては嬉しく思うばかりです
棟梁の真人さんも、若いながらに十分にしっかりと建て前をこなしてくれました。末が楽しみ!関わってくれた大工さんたち皆が自信をもって勧める家づくりです。
そう、建て主さんの家づくりに込められた願い『つながる、つなげる』は、確実に未来にむけて種をつないでいます。。
家づくりは器づくりではありません。大きな大きな社会的な流れをうみだす作業。未来がより良く明るくなってくための種まきなのです。心から感じます。。





見ていて飽きない美しさ。そして心から感動がわいてきます。
ここにきっと心惹かれる美しい世界があるからなのだと 感じるのです。。
それを真理の世界と言うのかもしれません。
建築に関して全くの素人であっても「この家なら絶対、地震も大丈夫!」と言わせるほどの力強さがそこにあります。現代の多くの家づくりがなくした本物の力強さを感じます。。
有名な構造家が来てその耐震性を証明する必要もないほどの、安心感や力強さというのは確実に存在し、誰にでも感じることができます。真の道理の世界とは、そういったものなのかもしれませんね。。



全てが美しく愛おしい。。
木で出来上がった空間に、心からの安堵がうまれ、ただただ木の優しい空気に包まれます。
大黒さんが支えてくれているという安心感もありますね。。

自分たちの暮らしは自分たちで守る。。


今日、伊方発電即刻停止をもとめて四国電力そして県庁に要請に行ってきました!
始めての活動参加です。。
今回の福島の原発震災をうけて、原発さよなら四国ネットワークや有機生協その他市民団体、それから被災地から避難されてきた方などたくさんの県民の方々が来られていました。しかし・・四国電力や県庁も、決して応対の良いものではなく、敷地内で拡声器やプラカードを持つことさえも許されず、仕方なく四電の敷地を出て歩道に移動。2mほども無い歩道に大勢の人集りとなり、通行の妨げになりそうな状況での要請申し入れとなりました。正直、こんな事態なのに・・こんなヒドイ扱いを受けるとは・・。私たちは四電の電気を購入している消費者でもあり、消費者の声を聞くことは当たり前ではと・・?しかしクレームや要望に関しては、冷たい応対という訳です・・。しかもこの期に及んで・・。

私たちも手づくりしたプラカードをかかげ、声をあげました。各団体からの要請と厳しい声(当然の事を言われているだけですが)が浴びせられるも、無表情な四電社員さん・・。
ただそう見えるものの彼らの立場を理解すると、とても辛い気持になってきました。四電社員の方々だって、辛いはず・・。こんな危険がある原発を決して手放しで歓迎している訳ではないはず・・。自分たちが安全だと言ってきた原発が、脆くも、1機に止まらず次々と事故を起こし未曾有の原発災害となっている状況・・。多くの犠牲者を出しながら、簡単には終息できない惨事。彼らも被害者なんだと言う気持が沸き起こってきました。

「あなたがたも望んでないはず・・辛いこと分かります。でも・・中から変えてください・・中からでないと変わらないのです・・お願いします・・いまできることを・・子供たちのためにも・・」そう声をかけると涙が頬を伝わって落ちていきました。こんなにも多くの人を傷つける原発・・だからこそ無くしていかなければいけない。。そんな気持がたくさん湧き上がりました
気のせいか?四電社員さんの目頭が赤くなっきたような・・。中から変えることは本当にたいへんなこと、でも今すぐでなくていいから、一歩一歩変えてほしいそう願いました。。

 

さて、次に県庁へ、伊方発電即刻停止をもとめて要請に行きました。
っと言うのも、許認可権限を持つのは愛媛県知事であるからです。
今後すぐにでも起こりうるであろう南海地震に対して、知事が一言「伊方原発の原子力政策を見直す時!」と言ってくれたら全てが変わります。しかし・・福島の原発の件をうけて11日には、知事に対して各市民団体から要請書がすでに出されていますが返事がなく・・、まずは原子力安全対策推進監(国の安全・保安院から出向、県の原子力政策トップ)の方に、お話しを。しかし安全を管理しなければいけない立場であるのに、彼からは危機感というものが全く感じられませんでした。今回の福島原発の件をうけて、伊方は安全に運転していく、そのための対応をしていく、県の方針に従う、そう話されるだけです。「あなたは国から派遣され原子力の安全を、県にたいして強く指導していかなければいけない立場!」と各団体から抗議。彼ではラチがあかず、知事に生で県民の声を届けるべく、知事室へ直接要請に。

今後起こりうるであろう南海地震(地震連鎖による誘発の恐れもあり)に、一刻も伊方原発の稼動に対して慎重な見直しが必要な時であるはず!そうでなくても日本のなかで危険な原発ワースト2が伊方原発であり、多くの技術者からも伊方原発の危険性は語られています。その中身には虚偽による安全性の偽装がはかられ、無理矢理に稼動しているという話もあります。

かなり大勢の人々が知事室入り口前に集まり、それに対して秘書とガードマンが知事室をふさぐかたちになりました。しばらく秘書課長とのやり取りが続きますが、秘書課長は「事務的な手続きを・・」の一点張り。しかし各市民団体からはすでに11日に要請申し入れをしており、知事からの返答が未だになく、こうやって押し寄せた次第。「中村知事、会ってください〜!」とみんなで声を上げましたがっ・・、知事は少しドアをあけて覗いたものの引っ込んでしまい対応はしてくれません。ガードマンは増え知事室前の入り口は人壁になりました。私たちは普通の一般人であるのにまるで右翼的な扱いでした。

時間だけがすぎ、最後に、東京から避難して来られた若者(高校生らしき)2名が、人壁に対して「僕たちは放射能を逃れて避難をしてきた。こんな時だから、面倒な手続きはよく分からない。やめて、みんなで考えた方がいい。」と、大人達の不条理な対応をついた若者らしい感想が、この場のみんなの気持をよく伝えてくれたと思います。
つくづく血の通った県政でない事を今回肌身で感じるのでした。。

夕方のニュースでは『今回の件をうけて、中村知事は定例会見でイデオロギーや政治的背景があるならば松山市長時代から会っていないと今後も市民団体と面会しない考えを表明。』と、昨日の私たち多くの市民団体が詰めかけ、知事に生の声で要請申し入れをしたい事に返答したそうです。

「安心して暮らしたい」そういった願いは、反社会勢力なのか・・?
って言うか、ぜんぜん私たちの話そのものを何も聞いていないのに、決めつけた言い方!
私たちの訴えそのものを、そのように受け取る知事に対して、涙が出そうです。。
反原発=反社会勢力のように捉える知事の意識レベルの低さ、そんな知事に県民の安全を委ねているのかと思うと、不安が拭い切れない次第です・・。
今回の活動をとおして県のあり方体質そのものを疑う機会となりました。
問題の原点。原発という危険なもの、ウランという人が本来手を出してはいけない領域の物を取り扱っていくという認識の薄さ。それが福島原発の原発震災を引き起こしたと言えます。
これは天災ではなく人災です。
伊方原発もそうならないように。。

少しでも伝えるべく活動を、、20日(日曜日)市駅前でおこなわれる街頭活動に行ってきます。
ご都合の良い方、一緒に行きましょう
自分たちの暮らしは自分たちで守らなければ、何も変わりません。

最悪な事態に・・


 とんでもない事態になりました・・
東北地方太平洋沖地震により亡くなられた多くの犠牲者に心からのご冥福をお祈り致すとともに、早急な復興がなされますこと願っています。。

そして次なる原発災害がとても心配なところ!
いままで原発の危険性を訴えてきましたが、ついにこの時が来たか!という面持ちで、この数日間と今もまったく仕事が手についておりません。
「四国やから関係ない」というのは、あまりにも危機感のない話・・。
今回の事は、東北だけの事だけでなく、今後、長い時間をかけて影響していくことになる、そんな危険を秘めているのが放射能の恐ろしさなのです。。
食べ物への影響・・日本の穀倉地帯である東北、そして海産物への影響が避けられません。

また私たちのすぐ側にも同じように伊方原発があり、いつ何時、福島原発と同じ惨事がおこるか分かりません。人ごとではなく、ちゃんと原発というものを見つめ、より良い社会にしていかなければいけません。

正直なところ情報はまったくと言っていいほど封鎖されています。
原発の危機的な現状を一切政府は報告せず、隠蔽。メディアさえも、その歩調にあわせ、当たり障りのない報道を。こんな現状をみて情けないばかりです・・。
イタズラに国民の不安をあおることは良くないことですが、今おこっている危機的な状況を知らせ危機感を持たせるという事と、不安を煽るという事とは別なような気がします。おこりうる事態を知らせて先手先手で危険を回避することが大切。本当のことを知らせずにいて最悪の事態になったら、その時は本当にパニックです!最悪の事態を想定しておくことで、少しでもパニックにならない心構えができます。

福島原発は、すでに最終段階にきており、もう残す手立てがない状況です。
海水による冷却を続けていますが、そう簡単ではないこと。それをこの先、ずっと持続していく事の難しさがあります。容器に閉じこめた燃料棒はなかなか冷めないのです。格納容器や原子炉圧力容器もすでに設計の許容量を遙かに越えて、最悪な環境で酷使されている状況です。本来水によって封鎖されている中性子が刻々と容器を傷めていますし、容器が壊れればその先はありません・・いつまで持ち堪えてくれるか・・という段階。限りなく簡単ではない冷却をいつまで維持できるか・・働かれている作業員の浴びる放射能は生死に影響し、そのなかでの作業・・。常に水素爆発や水蒸気爆発の危険ととなり合わせ。全てがいっぱいいっぱいの厳しい現状という事です・・。

人が便利さをえるために、つくりだした安全神話。そのうえにある原発。。
目を覚まさないといけません。。
これ以上事態が悪化せず、冷却されますよう祈ります。。。


18日金曜日に、原発さよなら四国ネットワークによる『伊方原発即時中止をもとめる緊急行動』があるようです!今のこの時に行動することが大切だと思います!
始めてですが参加してこようと思っています。。

自分のためでなく、この先ずっと続くであろう命のために。。


http://genpatsu-sayonara.net/wp-content/uploads/4281559cd7090068500f4c719ad41300.pdf

10:30 四国電力松山支店前 集合 要望書提出
11:20 県庁第一別館ロビー(ここからの参加でもOK)
11:50〜14:00 県庁前行動

自分なりにプラカードを作っていこうかな〜と思っています。
一緒に参加しましょう!行けそうな方、お声をかけて

やり手の新人がやって来る!


 我が家の新しい顔ぶれ、新人がはいりました。
かなりの仕事っぷりに、とても賢い!
待ってました!と言わんばかりの有望な新人!

実は猫です(笑)。。

ここ一年ほど、ネズミの被害に毎晩悩まされている我が家。
自給率があがって、食糧が家に豊富にあると、やってくるのがネズミさん。
ん〜、もうかなり悩まされています。。

ドンちゃんドンちゃん、毎日の天井裏の大騒ぎ。朝の4時ごろが最も騒がしく、眠れない・・。ほんとよくやってくれますわ。お米袋や大豆袋や小麦袋を片っ端から穴をあけて食べていくネズミ。お陰様で、どうすればネズミさんにとって住みやすい家になるかという事を学ばせて頂きました。

天井裏は格好のネズミの住処。しかも大壁の壁の中は、人目に着かない良い通り道。
この2点があれば好き放題間違いなしです!捕まえるのも至難のワザ。
あ〜ん、土壁に床板・梁材現しの家に住みたい(笑)!
ネズミにとっては隠れ場所がない造りでしょ
先人たちはそんな事をも考えて家づくりをしていたのでしょうか。。

さてさて新入り。我が家の裏の畑で、スズメを狙って近くに住み着いておりましたところ、
ネズミを捕ってくれるのなら家においてあげるよ。。という事で交渉成立。

私たちの想いが通じたのか、さっそく翌日には1匹のネズミを捕獲した新人です。
さんざん捕獲に頭を悩ませていた私たちを尻目に、その翌日には、さらに3匹のネズミをゲット!
もうネズミはいないだろう〜と思っていたのが、
その翌日に、さらに1匹と、巨大ネズミ1匹(たぶん大御所です)を捕らえたのです。
すっすごい!の一言!
散々ネズミに泣かされてきた私たち、彼の仕事っぷりに涙涙!

ん?ところで我が家には、もう一匹の社長猫が・・。
んんん〜、寝ておりますよ・・。さんざんネズミが走り回っても知らんぷりで、寝息を立てて寝ている社長猫・・。社長は手を汚さず、部下を働かせる・・。昨今の相場なのでしょうか。。

まあよくもこんなにもネズミがいたのか!っと、少々びっくりですが、しかしよくネズミを捕る猫です
あ・・ただし新入りのご飯はかなり少なめになっていて、完全歩合制により報酬が与えられるシステム いつもお腹を空かしている新人なのです。。

ひとまず、見事我が家の新入りとして一同に認められ
ただし社長(猫)はご不満のようですが・・

名前はチャイ(和名:茶衣)。
どうぞお見知りおきを。。

めざせ!茅葺きの家!


 「茅葺きの家」
自分たちがもし家を建てるなら迷わず茅葺きの家にしたいと思う。 あの優しくて柔らかい、山々の稜線を想像するような美しいフォルムにとても心を惹かれるから。。

昨日、設計仲間のSさんが、茅を刈るということで、私たちも茅刈りのお手伝いに行ってきました。
Sさんも土着的な家づくりをずっと目指されている方。私たちも土着的な家づくり派という事もあって、いつも私たちが好みそうな事にはお声をかけて頂いている。。

茅刈りも、ヒジキ刈り同様に、刈り時の頃合いを見計らって刈られる。茅が枯れて、新しい茅が出るまでの、ほんの束の間の頃合い。しかし茅刈りワークショップとあって土日休日の茅刈り予定が、雨や雪のために延期・延期で、気候も暖かくなってきてしまって、ついにシーズン最後の茅刈りとなってしまった。。
やはり自然は待ってはくれない・・。自然素材をつかった家は、人が自然に合わせていかなければ難しいところが、山ほどだと感じるところ。。

 
昔は集落総出で「今年は○○さんところの茅葺き用だ〜」と言って、刈られた茅たち。
一屋根葺き替えるのに、細身の女性ぐらいの茅の束が1400束いる。
1人が1日で刈れる束は10束がせいぜい。この日に私が刈れた茅は、1時間で1.5束。それもかなりの重労働・・。
10束刈れても、一人でやろうものなら140日=4ヶ月〜5ヶ月かかってしまう。しかし茅の刈り時期は1ヶ月〜2ヶ月ぐらいだから・・、完全に時間が足りない・・。
今回も、神社の庫裏の屋根を葺き替えるための茅刈りだったが、この調子でやると一体何年かかるだろか・・とついつい推測してしまった。

しかし・・村総出で刈れれば、数日で終わってしまう作業となる。
昔の『結』、共同体として互いに支え合っていくことのメリットを、茅刈り体験を通じてつくづく感じてしまった。。
今や、もう崩壊してしまった『結』、共同体として互いに支え合う営みだが、自然に寄り添う暮らしには、やはり無くてはならなかった体制でもあるようだ。。

もう今では新築の住宅で茅葺きの家は、まずない・・。
町中では、まず建築基準法が邪魔をして、建築不可能。でも里山ならそれも可能。。

美しい茅葺き屋根のある家々の風景を思い描く。。
自然の景観とも、最高に調和した住まい。日本人好みではないか。。

ノスタルジックにそんなことを言っているのではなく
「いいなあ、美しいなあ〜」と感じるものを素直に遺せる実現できる社会であってほしいところ。
人間が「いいなあ」と動物的な五感で感じる部分は、頭でこねくり回して考えるよりも、自然に調和した確かなものを察知する能力があると私は信じている。
原発の建物を目の前にして「いいなあ〜」と思う人はまずいない。しかし頭で「だって・・電気が必要だから・・」と考えてしまうと、五感で感じた部分(恐怖感や違和感)を覆い隠してしまう。神さまから、動物として与えられている能力(危険を察知する能力・未来を予測する能力・自分たちに馴染まない物を判断する能力・自然に調和しない物を計る能力)は、今の科学では一切理解されていない領域、だから今地球が危機的状況にもなっているようにも感じる。

茅葺きの家は、本当に優しい。。
それがその物の本質なんだろう。きっと。。


茅葺き屋根の家を実現していきたい。
そのためには共同体として互いに支え合う暮らしを取り戻していかなければ。。
人付き合いは面倒?邪魔くさい?

でもそこにあった人間同士の深い絆や付き合いは、決して、悪いことばかりでなかったハズ。
今の日本は、隣の住人が何をする人かも知らず、飢餓で死ぬお年寄りもいるぐらいに、どこか寒々しく冷たい。お互いが関わり合わなくても生活していけれる。互いが互いを支える、支え合うという意識は全く無い。必要ないものとなっている。
茅葺きを取り戻すという事は、そういった今の社会のシステムをも見直していくという事なのかも・・。
私たちも、茅葺き実現にむけて一歩一歩、歩みたい。。

40代の生き方。。

 ついに40歳に突入しました。。
もうこの歳になると、素直に喜べる歳ではなくなりました
でも30歳の突入の時のような、あがきは無く。
いよいよ40歳なのか〜という実感のみがあります。

思えば、私が20歳で、設計事務所に入社したころ、その時の所長さんは40歳でした。
その当時の私からすると、やっぱり所長は偉大で、何でも知ってて何でも出来る40代に見えました。だから私も、いよいよその歳になってしまたのか〜という実感です。。
早いものです!でも30代には、自分が思い描くことを、ひとつひとつ実現してこれたと思います。仕事も暮らしも生き方も。。後悔はありません。有意義な30代を過ごせたと思っています。。

さて、40代は何を実現していきましょう?
私の尊敬する方が、30代は他の人から色々と教わったり貰ったりする時代で、40代からは貰ってきたものを社会に返していく時代だと言っていました。
人生半分来たところで折り返し、社会に返していくことを考えるのも、良い歳の生き方だなと思います。30代もそういった気持ではありましたが・・、40歳になれば、もう「若い」は通用しない歳・・。ある程度の経験や、その重みのなかから結果が問われる歳だと思います。責任も重い・・。

家づくりの仕事では、ある程度の難は乗り越え、昔ながらの家づくりを普通のこととして「実現」していけれるようになりました。40代はさらにそれを育み、課題となっている事項をひとつひとつ対処していきたいと思っています。
課題とは、家づくりを細部で支えている職人さんたちを活かし育むために、どうしていけばいいのかという事です。細部には網の目のように、今にも途絶えようとしている職人さんたちがいます。大量生産ではない、一軒一軒手仕事の家づくりをしていくには欠かせない職人たちなのです。まだまだ問題山積みですね。。

あと自分たちが理想とする地に、移住したいです。これを40代前半で実現して、その地に根付き、農的な暮らしと住のかかわりをつなげて、自分たち自身の生き方・暮らし方から発信をしていきたいです。こちら最終目標ですかね。。30代もそうでしたが、しっかりとしたビジョンを思い描いて目標をめざしていきたいと思います。。
まだまだな40歳ですが、宜しくお導きくださいませね。。

40歳の誕生日に希望したことは・・、宮地さんから頂いたミルクでの「苺みるく」でした♪
それだけで幸せな私です〜

松、杉、桧、旬です。。


 昨日は、木を求めて大洲、高知へ。。
今がちょうど木材の、買い時。旬です。
そのため私たちもあちこち右往左往。
とくに松の良材が欲しくて、思案していたこの頃です。
徳さんは雪山に登って、松を探しに行ったりもしました。
(↑この時、女性にはかなり危険で険しい山道だと聞かされていたので、あえなく私は登山を断念・・。)

松材のことや松材の乾燥のことも、大工さんや工務店さんにも聞いて歩いたりしましたが、飛び交う色々な意見・・なんとなく私たち的には、すっきりしない返事。そこで四国唯一、内地松を専門に扱われている向井木材さんに話を伺うことにしました。やっぱり餅屋は餅やでしょ

私たちが求めるのは天然乾燥の松材です。そのための乾燥手法や、年数、松の伐り時期や、良材の見分け方。天然乾燥実現のための方策など、聞きたいことは山ほどです!さすが松材専門とあって、やっぱりタメになるお話しが色々と聞けました。一歩踏み出せば、とても勉強になること山ほど。。


KD材(人工乾燥)が求められる住宅需要のなか、向井木材さんも試行錯誤といったご様子。
やはり高温乾燥の弊害をご理解されていて、向井さんも様々な論文を探りつつ、人工乾燥で出来るだけ松材を傷めないやり方を探っては試行錯誤。伐り旬の材を購入すること、ツチの日を避けた木材を購入することなど、やはり虫のはいりやすい松材だけあって、さまざまな事に認識をもって松材を扱っていらっしゃるご様子には、安心感がもてました。乾燥についても奧が深い話がとてもためになります。やっぱりその道で苦労されているから聞ける話です。ただ今の需要では「待てない市場」なので、天然乾燥材を求めるお客さんはいないそうです。
市場に合わせるためには人工乾燥が不可欠という訳です。向井木材さんも天然乾燥に興味があるものの、土場の面積も限られるので天然乾燥まではされてはいないのです。

やはり天然乾燥のためには2年必要。2年でもまだ完全には乾燥が出来ないとの事。以前に、1年天然乾燥の松材をつかったのですが、やはり隙間が結構あいて、梁材現しの家では、もう少し乾燥をさせたいと思った次第。ただ大工さんのところにも松材の在庫がなくて、実現のためには私たち自身が、土場をかまえて、松材をストックしていかなければいけないのかな・・とも思っています。まあそのために色々と聞いて廻っているのです。
乾燥については、頭が痛い、悩ましい部分ですが、一歩一歩バージョンアップしていきたいと思っています。向井さんも、乾燥は僕たちプロだって未だに悩ましい難しい部分だから、と言ってくださったので、一歩一歩の前進が成長の一歩だと感じた次第です。

今年は大雪のために、松材はまだ十分に市場に出回っていないみたい。
雪の中から、切り倒した松材を、発掘?する作業に追われているそうです(笑)。。

  
さて向井木材を後にして、次は高知県入り。
いつもの池川林材さんをお邪魔しました。こちらも今が旬なので、土場には、山ほどの木がたくさん!池川さんでは杉・桧をお願いしています。
今回は、『風薫る家』の大工さん(水木棟梁)をご紹介し、木材の段取りや、乾燥の方法などを話し合いました。水木棟梁も、町場の木材屋さんからでしか木材を購入したことがない様子。出来るだけ中間業者のはいらない山側とつながっていくことのメリットを感じていただけたご様子。。
こうやって互いに顔と顔が見える関係を大切することで、山の現状なども肌で感じられます。
『つながる家+つなげる家』の大工さん(小林建工さん)も、池川さんをご紹介以来、こちらで木材を購入している様子。良かったです


さて製作していただいた軸組模型を見て頂いて、こちらの熱意を伝えます。。
これも大切!こちらがどんな材を求めているのかを伝える事が大切です。。

土場には『ゆとりの家』に使う原木たちがたくさん集められていました。
いい材たちばかり!きっと建て主さんも喜ばれそう。
良材を集めてこられた池川さんの表情は、どことなく嬉しそうな感じ。

ただ今の時代は、安かろう悪かろうで、質ではなく量をもとめる人が多いので、工場もテンテコ舞いだそうです。この仕事の仕方は、一切の利益が出ない割りに、忙しく苦しいと言っていました。うちみたいな所には似合わないやり方だと・・。
みんな、、喜びの仕事にもどっていかなければ。。
木材にこだわりをもって、本当に良い物をもとめる人が増えたら、山側の暮らしもきっと楽になるのではないかと思います。それはまた木と土の家づくりが、もとめられる時代がやってくる時です。
向井さんも言われていましたが、どんなにイイ材を提供したとしても、石膏ボードで木材が隠されてしまうのでは、木材屋さんとしてはやり甲斐がないところだと。

だから、山を想うのなら、まずは家を変えていかなければいけないという事です。
木と土の家の良さを発信していきます

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