♪♪ 昔ながらの家づくり・ミニ塾のお知らせ ♪♪

今年は雨もしっかりと降ってくれる恵みの梅雨。我が家の畑のお野菜たちも順調にすくすくと育っております。お野菜たちとは裏腹に・・雨とあって家づくりの進行状況はとてもスローペースな日々。
そんななか先日建前がありました『ゆとりの家』の木組みの構造を見よう〜!ミニ塾をおこないたいと思います。『ゆとりの家・建前』はブログでもご紹介↓
http://aastudio.jugem.jp/?cid=9
しっかりとした木組みの構造は、今時の家づくりとの違いを確かに感じさせ、昔ながらの先人たちが遺した家づくりの素晴らしさを感じさせてくれます。
ぜひこの機会に昔ながらの家づくり、そこにあった良さを体感してみませんか!

また今後、今進んでいる二軒の家づくりの現場を通じて工程の節目節目を見ていただき、昔ながらの家づくりを知っていただくための家づくりミニ塾をおこないたいと思っています。ミニ塾とあってざっくばらんな講義スタイルを予定しております。時には職人さんの工房を訪れて仕事をみるという事も♪
「教える」というスタイルよりは、沸いてきた素朴な疑問を「聞く」というスタイルで
進めていきたいと思います。職人さんたちは皆さん寡黙でもありますから(笑)。
今後のミニ塾は以下を予定しています。

1.<大工編>木組みの構造を見よう〜!
2.<左官編>土壁をしる。竹小舞・荒壁のようす
3.<設計編>設計者の仕事をしる
4.<表具編>表具の仕事をしる
5.<指物編>指物の仕事をしる
6.<建具編>建具の仕事をしる
7.<畳編>畳の仕事をしる
8.<林業編>山に木を見に行こう

※ただし現場は生ものですので場合によっては開催できないものもあるかもしれません
し、プラスαの新たな講座があるかも。順番はこの通りではないかもしれません。

全てのミニ塾ご参加の方には、『昔ながらの家づくりミニ塾終了証書』を差し上げます♪
参加費については資料コピー代などに一家族1000円いただき”家づくり塾活動資金”として使わせていただきます。一家族1000円にて全講座を自由に受けられます。見たい講座だけ参加でも可能です。(講座によっては別途交通費がかかる場合もございます)

今回はその第1回『木組みの構造を見よう〜!』です。
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◎日程:7月1日 日曜日 小雨決行 
◎午前参加希望の方/10時集合  午後参加希望の方/14時集合
◎内容:木組みの見学など 1時間〜2時間ほど 
◎場所:松山市内(参加希望者のみ詳細な場所はご案内をします)
◎申し込み:まずはご登録のうえ、申し込みメールをしてください。↓
        http://homepage2.nifty.com/aastudio/profile2.html
        (AASTUDIOの見学会&家づくり塾は、お施主さまのプライバシー保護のため完全予約制で登録者のみにご案内を差し上げるようにしています。)       
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第1回参加希望の方は、6/29までにお申し込みです!

田植え番外編。援農。。

 田植えも無事終わった〜、、、と安堵につくや否や、次は援農の私たち
田植えのお手伝いに来てくれていたkimiちゃんの田圃、援農がえしに1日だけお手伝いをすることになりました。そしてありがたいことに、我が家の田植えに来てくれていたtakaちゃんも「田植えを手伝うよ」っと

決行日の当日は、台風も間近で天気はあいにくの雨
5畝の田圃を8人で雨に濡れつつの田植え作業となりました。例年は、kimiちゃんもお母さんと一緒に女手だけでコツコツと一ヶ月もかけて田植えをするそうな。
でも人数がいるとスゴイね〜、見る間に苗が植わっていきます
やっぱり人の力って・・実感
「kimiちゃん達だけだったら、この1/10も終わっていないのか・・」と考えながら植えていると、なんだか分からないけど馬力が沸いてきました。そしてみるみる5畝の田圃に苗が植わっていきました。まだお昼前だと言うのに田圃の2/3はすでに苗が植え終り、お昼休憩 
kimiちゃんがお昼のお料理をいっぱいつくってくれていました。しかしお昼を食べはじめると、雨で思いのほか身体が濡れていて、強くなる雨風に身体がすっかり冷えてきました みんなブルブル
kimiちゃんもこの寒さと雨風に田植え継続は無理と判断、ご飯が食べ終わるやいなや即座に撤収し、温泉に浸かることに。

温泉後はすっかり回復〜。その後は我が家でお茶談義となりました。
田圃のほうはほぼ終盤までいっていたから、あとはkimiちゃん達だけでも十分大丈夫でしょう。こうやってほんの少しの支えあいで、ぜんぜんたいへんさが変わってきます。いつも田植えが終わると、なんともいえない一体感を感じる。労を共にした仲間。その感じが大好き
kimiちゃん親子も「ホント信じられない〜」と。一人でやっていると限界があるけど、こうやってみんなの力を借りると違うねと 
一人だとやっぱり機械に頼りたくなるところ。でも機械に頼ると言うことはそこにあったコミュニティをもなくすということ。昔は村ごとにそれぞれの田圃を皆で手伝ってやっていたと言う。生きていくための田圃を一緒に共同でするって、それだけ絆が強かったと思う。今は支えあわなくても生きていけれる時代。買えば済むしne・・。でもその便利さのなかで無くしてきたものは多いと思う。
こうやって田植えをしていると感じる。。

そうこうしていると話が尽きず、別れ惜しくなってくると「ごはん食べていく〜?」の、いつもの私の一声。手打ちうどんを皆で一緒つくることになりました

 

これまた一緒につくる手打ちだから楽し!
麺を踏んだり、伸ばしたり、切ったり。材料を揚げたり、準備したりと皆で作業を分担します。伸ばす生地が薄くなったり、麺が大きくなったりして、皆で冗談を言いながらの楽しい作業です。

そうして出来上がった手打ちうどん

ふふふ、美味しそうでしょ

あれだけ騒がしかった皆も、このうどんを食べている時って、ほんと無言 
美味しいものを食べる時って、不思議と黙りこくってしまうのが可笑しい
あれだけお茶タイムでお菓子を食べたのにもかかわらず・・

ははは〜、うどんは別腹のようでした 美味しいものは、みんなをひとつにしてくれますね
満たされた気持ち。。
田植えをご縁に「山登りをしよう」と山登りチームが結成されたり、お互いの抱えている心の悩みを打ち明けたりと、話の尽きない援農の夜になりました。。

いよいよ田植え。。2日目

2日目の田植えは、4年目の我が家の田圃です。
昨夜から泊り込みの参加者takaちゃんと、毎年田植えを手伝いに来てくれるseiちゃんと一緒に田植え作業となりました。
両日参加してくれた熱心なtakaちゃんは、昨日参加してくれた職業訓練校の面々と一緒にAASTUDIOに昔ながらの家づくりの話を聞きに来てくれたのが知り合ったきっかけ。その後うちに来た事がきっかけとなって「農をめざしたい」と今は菜月農園さんところで援農をしながら農を学んでいるそうな。
自らが化学物質に反応して病気になったこともあって、身体に優しい農や食を生み出したいという想いが根底にあるみたい。ぜひ頑張ってほしいところです。。

さて昨日と打って変わって、田圃の様子は異なります。
田圃は草を刈ったままで耕転をしていないので、どろどろとした感じはありません。
田圃には毎年落ち葉が敷き詰められ、落ち葉の層が出来つつあります。これが稲たちのご飯になっていきます。そしてそこに鎌で穴をあけて、苗を植えていく作業。昨日とは手ごたえ感触がまったく違います。

 

昨日は泥のなかに苗を植える?っと言って良いのか・・とにかくプニョプニョの泥ですから植えた感じがしない。しかし今日は、しっかりと穴を掘って植える、という手ごたえがあります。なんだかしっかりと根付きそうな感覚があります。。
まあ前者が普通の田圃ではあるのですが、自然農でやっているとそう感じてしまいます
しかも足を泥にとられない分、動きやすい。手植えするなら断然、自然農の方がやりやすい!

田圃のあちこちでは、ひこばえ(刈り取り後のイネの茎から自然に出る側芽が伸びたもの)が見られたので、これも生かして立派に成長するか今後観察をしていくことにしました。うまくいけば私の理想でもある、あまり人が手を加えなくても自然に稲が育ってくれる勝手映え農法ができるかも なんてね。。


そして籾が自然に落ちて発芽して大きくなった野良映えも、こんな立派な姿で田圃に見受けられました
ほほほ、私たちが苗床をつくって育てた苗よりも立派でしょ!
やっぱり野良映えスゴイ!今後が楽しみです。

毎年、こうやって新たな発見ができるところが農をやっている楽しみ!そのなかにある自然の摂理をみて、いつも学ばされます。神さまがつくった素晴らしく上手くできた循環という摂理を。そんな一片を知るということが、何故だか分からないぐらいに湧き上るようなワクワク感があるのです。

さて、お昼時間です。。(今日は写真を撮り忘れずに)

ふふふ。。
今日も言わずと知れた、幸せタイム。。

 

みんなのお陰で、こちら1反ほどの田圃も2/3の田植えが終了となりました。ありがとう〜
でも苗が随分とあまってしまいました
今年は発芽率もよく、草にも負けず、鳥にも思ったよりは狙われなかったのもあって、しっかりと作りすぎたようです。お手伝いに来てくれたkimiちゃんにお分けすることに。それでも余りすぎてしまうのですが、これもまた土の肥やしとして還ってもらいます。もったいないようだけど・・。

 

田植え終了後は、田圃の周辺にある紫蘇採り放題
紫蘇も買うと高いですが、自然の野良映えで出てきた紫蘇たち。醤油とごま油を混ぜたものに漬けて海苔のようにしてご飯とともに頂くと絶品!なのです。たくさんもって帰ってもらいました。

そして我が家の好評の自家製ひじきと、手作り無添加ラー油もお土産に。この日のためにラー油は手作りをしました。2日目は乾物屋seiちゃんのいつもの差し入れ煮干も、みんなにお裾分け。(seiちゃんいつもありがとう)

そしてみんなと話していて・・、感謝祭というのもイイねと
採れたお米でお餅を一緒について、こうやってお手伝いしてくれた方々にお餅をふるまったり、持って帰ってもらったりすること。どれだけのお餅が我が家で出来るのかは分からないけど・・、ずっとお餅つきもみんなでやりたかったので良案!お正月前に一緒に餅つきをしたいところですね〜 
おっと、、その前に収穫のお手伝い(手刈りです)もぜひお待ちしておりますね〜

どんどんとイメージは膨らんでいきますが、稲は植わったばかり
まだまだこれから。順調にそだってね〜。
ひとまずは、お手伝いに来てくださった皆さま、どうもありがとう
そしてお疲れさまでした。。

いよいよ田植え。。1日目

 いよいよ待ちに待った田植えです
興味のありそうな方々に呼びかけていましたが、土日の両日とも、お天気は雨
梅雨時期だからこれも仕方がありません・・。
「雨でも田植えに来るよ」といって下さる方々のみ、募りましたところ、ありがたや〜大勢の方々に来ていただけ、田植え実施となりました

神子の森がこんなに賑わうのはそうないことです。しかも大雨予報の日
道行く車が「なんだなんだ」という感じにスピードを緩めて見ていきます。

こちら神子の森の田圃は、今年借りた新たな田圃です。
借りた際にはすでに田圃を耕転してあって、今回の田植えは泥でぬかるんでいる状態です。
まあ、これが普通といえば普通なのですが・・
いつもの私たちのお米づくりは自然農ですから、泥でぬかるむという事はありません。
今回は私たちにとっても正直、わくわく・どきどきんの初体験の田植えとなりました

案の状、雨も降るなか、ドロドロの田圃。
苗を植えるより、泥にはまった足をひっこぬく方に力がいります
う〜ん自然農の田圃とは大違い!


でもみんな楽しそう。シリモチをついてパシャリ
雨も味方になってくれているのか、田植えの最中は気になるほどの雨があまり降りませんでした。

さて待ちにまったお昼!雨の日でもあったので暖かい食べ物を用意。
準備万端の参加者さんはビール持参の方も さすが心得ています!
わたしもすっかりお呼ばれして 一緒に食事を囲みながら、ひと時を楽しみました。
たくさんあったお料理も、すっかり食べる事に夢中の私は写真をとり忘れ・・
その後の3時のスイーツの数々が、また凄かった
参加者さんたちが持ってきてくれたのもあって、プリンに草もちに蒸しパンにホットケーキなど4種類ものスイーツが並びました
お田植え祭は、まるで食の祭り!←まあ、確かにその通りなんですけどねっ
昔はこうやってご飯を一緒にしながら、皆の力をかりて田植えをしていたんですよね〜。

みんなで一緒にひとつになって田植えをして、それだけでも不思議な連帯感がお互いの間に沸いてきますが、ご飯を一緒にするとなおのこと。だから食べる事は手をぬけません
ホスト役の私としては、それがお手伝いに来てくれた方々への感謝の気持ち。

食事後、スイーツ後はみんなのガソリンも満杯になって、なんだか張り切りようが違う感じでした

そして、ずっと今まであまり降らずに待っていた雨も、最後の最後にドシャブリ
でもあとは温泉が待つのみの皆は、もう後先かまわずの泥んこで、田植え終了となりました〜。

田植え後の温泉は最高〜
疲れもふっとんで、夜は我が家で、ベジお好み焼きをみんなでいただきながら、
夜遅くまで『生き方』について語りあいとなりました。。

『ゆとりの家』建前3日目。。

 『ゆとりの家』建前3日目になりました。今日はいよいよ上棟となりそうです
昨日の雨のおかげで休日の今日、ご主人さんも上棟をゆっくりと楽しむことができそうです
やっぱり建前の一瞬一瞬を心に刻んでほしい。骨組みが出来上がってからでは、見えなくなってしまう大工さんたちの仕事がそこにあります。

そして建前の最中は実は建て主さんにとっても仕事がいっぱい
大工さんたちの仕事ぶりをしっかりと目に焼き付けるとともに、ここまで頑張ってくれている大工さんたちに対して礼をつくすという建て主としての仕事があるのです。休憩中はお茶を出したりお菓子を出したり、昼の仕度をしたりと職人さんたちに心を遣うことです。職人さんたちの仕事に対する、建て主さんとしての礼儀。。

今の時代、お金のやり取りで家は建ちます。でもそこには心がありません。
施主だから・・とか、お金を出しているのだから・・ではなく、気持ちよく仕事をしてもらう事こそ、自分たちの家を最大限に良いものにしていくことに繋がっていきます。「施主だから・・お金を出しているのだから・・」そんな気持ちでいたらきっと職人は誰もお金以上の事はしてくれない。

「礼には礼をつくす」という事。そこには自分の利益だけでなくその利益は他者があってこそ得られるもの、という謙虚な気持ちがありました。昔の日本の良き心でもありますね。
お金だけで全てを解決するのではなく、目に見えないことに心を遣ったり、感謝していく、礼をつくすこと、人の心がかかわっていく家づくりでは色んな場面で必要とされることです。

桁がかかって小屋が少しずつ出来あがっていきます。屋根の形が少しずつ見えてくるのは本当にワクワクするところ



材と材が欠き合わされていかにも強そうです



ここに一本の母屋がかかってきます。一本でも高さが間違っていれば当然合いませんから、職人さんはスゴイですね

そうやって徐々に小屋が組まれていき、ついに棟木が登場

ここまでがとても長かった建前です。せっかくの記念の時、建て主さんに掛矢をもって棟木を納めていただくことにしました。ずっと今まで職人さんたちの仕事を見守っていましたからね。最後は大工さんたちに協力をしてもらいながら自分たちの手で棟木を納めます。



えい!えい!えい!

自然と出てくる笑みがなんとも言えず良いですね
心にのこる思い出となったかな。。

すっかりと木の塊のようになりました。道行く人たちやご近所の人は、立ち止まって眺めていきます。
昔ながらの家づくりをしていると、いつも本当に関心をもってくれる人が多いですね。良き家づくりをしていればその周辺から何かが少しずつ変わっていきそうな予感
さてさて棟も無事にあがり、再度骨組みを締めなおし、込み栓を打っていきます。

込み栓を打つだけでもスゴイ量です!1日がかりです。
たかが木の栓と思われるかもしれないけど、木の栓は金物より優れもの!

それぞれの穴をほんの少しズラして彫っているので、込み栓を打つと、材と材が引き寄せられる事に。柱と土台、梁と柱、それぞれに材と材が引き寄せられて開いていた隙間が次第に締まっていく
金物は材と材をただとめるだけの用途だけど、込み栓を打つことで最後は骨組み全体が締まるようにして固まっていくことになります。込み栓をあまり使わない家づくりをされている設計者さんは、案外このことを知らない方が多いです





やっぱり先人たちが長い年月のなかで編み出してきた昔ながらの木の家はスゴイ
美しい日本の木の家、和の家には本物が放つ力があります。。


仕事が一段落して、棟梁にも安堵の表情がうかがえます。
最後に建て主さんより労をねぎらう言葉が交わされました。

ひとまず皆様おつかれさま
でも大工さんたちにとっては梅雨に突入して、雨仕舞いに気が許せない時。
さあ良き家づくりに励みましょ!

『ゆとりの家』建前2日目。。

 『ゆとりの家』建前2日目です。。
一般的な家づくりなら建前は1日で済むところ昔ながら家づくりでは2日〜4日ほどかかります。おおよその山場は、2階の床梁(胴差し)が納まるまで。
柱に梁や土台や差し鴨居などを差してつくる造りは、2階の床梁(胴差し)が納まるまでがもっとも手に汗を握ります。。通し柱の間に納まる、梁や土台や差し鴨居の長い差し口(ホゾ)が納まりにくくなるからです。でもそこが見せ場
ひとたび納まればそう簡単に抜けることがない事を体感で感じます。スポスポと簡単に納まってしまうようでは=抜けやすい、という事。これ道理の世界です
そうなるとやっぱり「抜けやすいから金物で補強する」という発想になってしまいがちです。昔ながらの家づくりをやっていると、あまり金物を必要としないな、という実感が沸いてきます。金物をつかうほうがずっと手間も省けて便利ではあるのですが・・、でも金物に頼らなければ心もとないような木の家は・・・やっぱりどうでしょうか

 

おおよそ梁が納まったころ、少し浮かしていた骨組みをさげました。ミシミシと下がっていく作業は迫力そのもの。それと同時に引き締め直す作業をおこないます。すこし緩めにして差し物が入りやすくしていたのを締めなおす作業です。隙間があいていた差し口が徐々に縮まっていきます。聞こえは簡単なようだけど、この作業に半日ほど。。

ミシミシとかギシギシとか木の音を聞いて、建物の揺れ具合、手に伝わる振動、柱の粘り、梁の粘りを体感していると、なんとなくですがこの家の粘り強さというものを感じます。それは地震がきた時にこの家がうける衝撃をどの程度この家がかわすかということまでなんとなく感じられてきます。
こういった積み重ねが設計にも活かされていくことになります

これと同じように長い年月を延々と大工さんたちは体感で、感覚で、木の家をつくってきたのでしょうね
それは決して「根拠のない技術でやってきた」という事ではなく、蓄積された経験と研ぎ澄まされた感覚が木の家づくりをしっかりと支えてきたという事でもあります。
感覚というのは素晴らしい力であり、私たちのコンピュータ技術をもっても未だその足元には及ばないとされています。ある分野では数ミクロンの精度での物づくりには、熟練の職人が長年育んできた指先の感覚ぬきには実現できないと言われます。常に違う環境下や要求に、そして生きた部材・変化する部材を使う時、そこには数値化されないと答えに出せないコンピュータ技術では立ち入れない領域があることを伺わせます。

先人たちの感覚は、今の私たちの感覚より遥かに上回っていたことを、先人たちが遺した物から感じる事が出来ます季節の変化を繊細に感じ、自然を感じ、自然の素材・自然の摂理に精通する暮らしのなかで物づくりがされてきた時代です。経験という感覚の積み重ねのなかから自然の道理を学んで智恵にしてきたのが先人たちです
 

今はあまり感覚を重要視していない時代でもあります科学技術をもって証明されないものは非科学的なもの=価値がないものとして低く見下されている時代でもあります・・ 
でも先人たちは科学技術のなかった時代に、自らの体感や経験の積み重ねで試行錯誤し、理に叶った素晴らしい物を生み出してきました。 
こうやって昔ながらの家づくりをとおして、設計者の私自身もひとつひとつ感覚を磨いているような気が実際に昔ながらの家づくりをする以前から言うと感覚が鋭くなってきたことを感じます。それは木組みだけに限らず、土壁の柔らかくて優しい感覚や、自然の囁きからも学んでいます。
そして自分たちの感覚が磨かれていけばいくほど、その上にはまだまだその上があるということを思い知らされるこの頃
そうやって先人たちも成長してきたのかなと・・、いつもながら昔ながらの家づくりを通して先人たちの研ぎ澄まされた感覚に想いを馳せてしまう私です 
特にこの建前は、私たちにとっては(職人にとってもですが)ワンステップアップのための貴重な機会と言えます。

  

さて、話が少しそれましたが、
2階の柱を立てつつ貫をいれていきます。差し物類がはいっていると、貫もちょっと入りにくいですね。

下屋や出窓などを取り付け、そしていよいよ2階の小屋組みに 
が・・ここで2日目終了
この夕方近くになると、大工さんたちの掛矢を打つ力も限界に
とにかく差し口が半端でなく多いため、この時間帯は残された力で掛矢を打っているという感じ。本当にお疲れさまでした。明日は雨のようなので一休みをして、建前3日目を迎えましょう

 

『ゆとりの家』建前一日目。。

 いよいよ『ゆとりの家』も待ちに待った建前です
建て主さんにとってはとても長かった道のりのよう。。
私達のところにやってくる前には数件の設計事務所を渡り歩いてきたけれど、そこでは常に「これでいいのだろうか」という疑問の日々だったそうです。
でも私たちのやっている『昔ながらの家づくり』に出遭ってから「良い家ができる!という実感にワクワクする毎日だった」との事。設計から木材乾燥のここまでで二年がかり。でもその確信は今でも変わらないと、ずっと言われているのが印象的です。。

いよいよ目にみえて形になっていく建前の日。きっと想いは私が想像するよりはるかに深いんだろうな だから私にとっても建前はもっとも大事にしたい日なのです。
建て主さんよりご挨拶をしていただき、建前がスタートされました。

 

足元から柱や土台にしっかりと差して組んでいく造りが昔ながらの木の家。
『昔ながらの家』は本来、石の上に柱が載って想定外の地震の揺れに対して石の上で動くことのできる遊びのある造りなのだけど、今回は基礎につなぐ方式。そのため差す事や組んでいく事がいつも以上に容易ではなくなるので難易度大に!
それは足元のみならず全てが組まれていく造りであるからこそ。基礎に頼って、土台にちょこんと乗っているような今の家とは、まったく様子が違います。
基礎がなくなっても十分に持たせる、建物のフレーム自体でもたせる造りだから。。
こう言っても、よく分からないだろうけど

ひとまずどうこう言うより感じるが早し!
本当にしっかりとした造りとは、どうこう理論で言うより、言葉以上の空気を放っているものだから。建築に精通していなくても十分に一般の方々にもそれは感じとることができます。
でもやっぱりアンカーボルトは邪魔だな〜・・
フレーム自体を浮かして建前をしなければいけないのでね。

迫力そのものです!
ホゾの凸凹がかみ合わさってミシミシといった粘り強い音をたてます。これがユルユルだと後々まで影響して、ユルユルの家になります。大工さんたちが刻む仕口一つの出来が家の丈夫さにつながる事を、案外多くの人は知りません。刻みは、簡単な仕事と、そうでない仕事があります。刻み一つであきらかに家の強さが異なります。
そしてしっかりとした刻みがされた仕事では、ひとたびホゾがかみ合った状態を目の前で体感すると、不思議なほどの安心感がわいてきます。現代的な造りでは感じられなかったこと。
ホゾも長いから建前は難易度を極めます。でもそれがかみ合わされば「もう大丈夫!」といった絶対的な空気感があります。金物をちょこんと留めるのとは訳が違いますね。

見ていて気持ちがいいし、美しい。。
神様が設計した花々や草木や自然の造形が美しいのと同じように、意味があるからこそ放つ美しさがそこには感じられます。。

 

だから『昔ながらの家づくり』がやめられなくなった私たち。
もう現代工法には引き返せない私たちがそこに
体感して本物が放つ素晴らしさを知ってしまったからこそ。

梁は幾重にも組まれていきます。時にはとても入りにくい部分もあり、柱を広げたり木のめり込みも活かしながら入れていきます。入りにくいという事は同時に抜けにくく。ひとたび納まった梁はビクともしません。動くことも抜ける事も容易ではなく、建物の粘りになっていることが感じられるのです。
粘らせるためには、局部的に力がかからないように全体で組ん持たせる配慮が不可欠です。昔ながらの『総持ち』の思想です。局部的だと柱に力が集中して傷めたりしますから、力が分散し、全体で粘らせるというバランス感覚が重要かと。。
ある大工さんが「ウルトラマンが放り投げたって転がる家やな」といったのが、この思想を感覚的にあらわした言葉やなと思いました

転げるぐらい全体で持っていないとアカンという事です。一部の差し口に無理がいくようでは、そうなりませんしね。
広げつつ締めつつ。そうやって梁を納めていきます。梁を重ねていくうちに床の水平構面が固まっていくのがあきらかに分かります。
昔ながらの家づくりの建前を何度となく経験していくと、「やっぱり昔の家は壁や床でもたせていないな〜」と痛感します。もうこの木組みのフレームだけで十分に家が持ちうることが理解できるからです。

ん〜
気がつくと、ご自身でも気がつかないほど建て主さんがニコニコと笑みをたずさえて組まれていく一瞬一瞬の架構の様子を眺められていました。
そうなんだよな、自然と出てくる笑み。しっかりと丈夫になっていっているというのが実感で感じられると、不思議に笑みが出てくるんです
ニコニコと嬉しくなってくるんですよね。これが専門的知識がなくとも本物は誰にでもわかるという証でもあります

さあ、2階床組みがおおよそ出来上がったところで、建前1日目終了です。。

まだまだかかりそう。。


着々と。。

 『ゆとりの家』も着々とすすんでおり、いよいよ明日建前なのです
あまりブログには登場しておりませんでしたが、その間に基礎工事や基礎石も据わったりして、『ゆとりの家』は少しずつ形になっています。(この頃は後日談ばかり
いつものごとく念入りな職人さんたちの打ち合わせ ↓ 風景。。

家づくりの現場は大工さんだけではなく、電気屋さん水道屋さん石屋さん板金屋さんなどなどあらゆる職人さんたちの連携プレーによってなりたっています。この連携プレーがうまくいってこそ良い家づくりが形づくられるという訳。とくに面倒な設計者の家づくりにおいては、よりこの連携が試されるのでもあります。連携がうまく成り立たず、後手後手に仕事がなってしまうと、納まりも悪いうえに、後々トラブルもおこってきますから。
職人さん達からは、「どこそこの現場は最悪やった。職人それぞれが自分勝手な仕事をしている」と、工期のない安いだけの家づくりの現場の様子などをよく聞かされます。工期がないという事もあって、まずは我先にと自分の仕事を優先させたり、後の職種の仕事はおかまいなしといった感じで、他の職人さんの仕事が二度手間になってしまうようなことも度々とか。そんな現場は当然のごとく建て主さんにとっても良い家となるはずはありません

 

連携プレーには設計者も当然加わっていますし、建て主さんもその一員でもあります。
職人さんたち同様に、現場が気持ちよくスムーズにすすんでいくことを常に心がけなければいけません。

時に現場では難題もわいてきます。
それは例え設計図があったとしても工事段階においては、さらなる事を想定して細部の納まりや施工方法などが検討され施工されるからでもあります。規格品の工場製品の家をつくるのではありませんからね。すべてが一から誰もが始めての家をつくるのでもありますから当然のこと。
とても些細な事と思われることでも、家づくりの目に見えない場面ではこういった連携プレーによって打ち合わせや検討が繰りしなされ、その始めての家づくりという壁を乗り越えていくんです。

わたし設計者の立場は、どちらかと言うとその連携をかき乱すような役でもありますね
時には新たな注文をいれたり、難解な検討事項を投げかけたり、変更を申し出たりと・・。
もちろん出来るかぎり。かき乱さないように配慮して進めていく、それが求められますが、チームの中にはこういう存在も必要なのです。。

そうやって現場が少しずつ進む一方、大工さんたちの影ながらの結晶を建て主さんに見ていただきたく一緒に覗きにいきました
工場にところ狭しと並ぶ大きな材を見て、ご主人・・「はじめて、この家の凄さが実感できた!」と。奥さんと設計者は一緒に「遅すぎ〜!」の一声で大笑い
きっとご主人的には、これから自分が背負っていくことになるお金のことなど、それに相応しい家を実感したのでしょうね。

 

棟梁・中ちゃんの物腰が柔らかい口調で、材のことや刻みの説明に真剣に耳を傾けている建て主さん。建前が終わると見えなくなってしまう命とよべる大工さんの技。これは家づくりのなかでは一瞬の出来事。しかと目に焼き付けて、自分たちの家づくりを実感して欲しい。。
こういったひとつひとつが「しっかりとした自分達の家になっているんだ」という実感や、心からの安心を生んでくれると思うのです。知ると知らないとでは住みはじめてからの安心感が違うよね。
ご主人はビデオにて撮影
そしてせっかくなので鉋(かんな)体験をしていただこう〜

 

引けるかな・・・・・奥さんと、子供さん。
鉋がけは、見る以上に難しい。スイスイと大工さんは鉋をかけるのにね。。
こんなところでも職人さんたちの凄さが体感できます。そんな事を体感するだけで、大工さんを見る目が変わりますし、出来上がっていく家にもより感謝が沸いてくるというもの。

結果、子供さんの方がすんなりとうまく鉋クズが出ました。すごい〜!
上手に出来ましたね
大工の素質ありかも。未来の大工さんを期待します
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