いつもいつも。。

『新居浜の家』の建て主さんがウナギの差し入れをもって来てくださいました
いつもこの時期 、暑さが厳しくなる夏本番となるこの時期を見計らってお約束ごとのように。ほんと『新居浜の家』の建て主さんには未だに頭がさがります。
きっと大工さんたちにも同様な差し入れを持っていかれたこと間違いなしです。
もうお住まいが出来て4年が経とうとしていますが、折にふれて職人さんや設計者へのお心遣いに胸を打ちます。

 

『新居浜の家』の建て主さんは、本当に『よく出来た施主』と呼べる建て主さんでした。これはきっと職人さんたちも同じではないでしょうか。「あの施主はよう出来とる」と職人さんたちがいつも声をそろえて言っていましたし。
4年経った今でも「この建て主のためなら・・」と一肌脱ぎたいと今でも思っています。それは大工さんたちも同様でしょうし、それだけのことを家づくりをとおしてしてくれたというのがずっとあります。
普通一般では施主がお金を払って、職人が施主さんのために色々と仕事をするのが常ですが・・
『新居浜の家』の建て主さんは、並々ならぬ昔ながらの家づくりにおいて、職人さんたちの気持ちがお分かりになる方でした。そして職人さんたち(私たち設計者も含む)の仕事ぶりや気持ちに対して、建て主としての気持ちを返せる人でありました。
「お金を払っているから当たり前」「施主のほうが上」という気持ちは微塵もなく、むしろずっと現場で職人さんたちのために心遣いをしたりして私たちのために働いてくださったのを未だに鮮明に記憶をしています。

 

現場での10時、3時のお茶は現場に誰かがいれば欠かさず出し、しかも冬はドリップしたての珈琲を夏はそれをアイスでと手間をかけて出してくださいました。
そう、夏は暑いので現場内に木陰をつくるためにテントを張り、テーブルや椅子を設けて職人さんたちの休憩所をもうけてくださいましたし、冬は寒い身体をあたためるために石油ストーブを置いてくださり、その時々で至れり尽くせりと。
現場の掃除も気がつけば建て主さんが自然としていました。

 

遠方まで2tダンプいっぱいの藁を運んだり、現場内に荒壁土を熟成させるためのプールを作ったり、荒壁土を定期的に練ったりと建て主さんも一緒にしました。

時に職人や私たちを喜ばそうと家づくりの日記を冊子にして下さって、大工さんたちを喜ばせてくれました。

 

建前の時は、わざわざ足場を組んで撮影舞台をつくってくださいましたし、上棟した夜の打ち上げでは大工さんたちを喜ばせるために上棟した家を投光器でライトアップするという粋な演出をしてくれました。年末には、職人たち一同を集めて、お寺で精進料理での忘年会(設計者がベジなので)を開いてくださいました。
私なんかはいつも現場に行くたびに畑のお野菜を頂いたりしました。打ち合わせや現場がおそくなり晩御飯をご馳走になることも度々でした。
時に魚屋さんが行商にきて、大工さんたちにお土産に魚をもたせて帰らせたりしていました。言うとキリがないぐらいに建て主さんには色々としてもらいました。

現場で職人さんが働くのと同様に建て主さんも働いているようでした。
私のなかで、昔の施主はこうであったのかなと思わせる施主さんでした。

昔ながらの家づくりでの最初の施主さんでもありましたので、色々と初体験山積みのなかで懐を大きくし見守ってくださった気がします。先行きが不透明で実現できるか否かが分からない家づくりでしたが決して私たちの前で不安や愚痴を言葉にしたことはありませんでした。隣接して住む爺やんからは口うるさく言われていたようでしたが、それも自分たちの胸に収めていたようです。きっと心中は不安もあったことだと思います。
本当に大切なもの、良いものが分かる方でした。打てば響く感じでした。欲がなく、常に人の気持ちが分かる方でしたから、消え去ろうとする仕事たちに対して心を向けてくださる方でした。
本物の仕事を、設計者や職人たちは知る機会を与えられ、挑戦の場を与えられました。職人たちも生かされて喜びに満ちて仕事をしていました。こんな現場は今時はないことでしょう。建て主との共同作業でできあがった家と言えます。
この家づくりをとおして職人共々大きく成長させていただいた、そんな気持ちです。

私たちの家づくり塾の活動や、徳さんの手織り畳表のことも気にかけてくれていて、活動資金を握らせてくれました。決して少ないお金ではありませんでした。数か月分の給料に相当するぐらいの額でした。それは自分のお小遣いとして施主さんが貯金されていた大切なお金で「他によい使い道もないので使ってほしい」と言われました。どこまでも欲がない人で、どこまでも他人のためになれる人でした。
施主さん的には、金銭的に合わない事をしてくれているなという気持ちでみてくださったのだと思います。でも私たち的には、お金があっても体験できないことをさせて貰っているなという感じでした。お互いがお互いのために尽くした家づくりでありました。そのお金は私たちの必要な時の活動のために使わず大事に取ってあります。

今でもこうやって時折、私たちのことを思い出してくれること、変わらない建て主さんを感じます。ウナギを料理しながら色々と建て主さんとの思い出がよみがえってきました
また夏休みにでもお邪魔することにしようかな〜。。

 
ウナギは蒲焼と塩焼きに


翌日は残った蒲焼でウナギのひつまぶし
美味しかった〜

木+竹。。

 梅雨もあけ、いよいよ荒壁をつけるための準備にはいりました。
木組みの空間に、竹が加わります。この延々と自然の素材でつくられていく昔ながらの家づくりに魅せられ今の私たちがあります。今時の家づくりなら断熱材を詰めて石膏ボードを張る準備をしている頃でしょうか。
見ていて目にも心地よく、体感的にも清々しい。。
初めてこの家づくりを体感した時に「ああ、どこまでいっても綺麗やな〜。」と、魅せられてしまった訳です。今時の家づくり、建築途中の断熱材を入れたり、石膏ボードを張ったりしている様子を「綺麗やな〜」なんて見れないですものね



 

現場にはそれぞれの用途に合わせた竹がはいっています。竹を掻くための縄ももちろんビニール縄ではなく、自然の素材の藁です。
間渡しに使われる女竹も太さの大きい物と小さい物があります。主に荷が掛かりやすいヨコ間渡し竹に太い女竹を使用します。私の指以上にあるゴツイ女竹ですね。そして貫の外側にくるタテ間渡し竹はヨコと比べると小さい。

見るからに丈夫そう。。
職人さんたちの本来の仕事って、そこにひとつひとつ智恵があります。ただなんとなく・・という訳ではなく、長く丈夫に持たせていく為にとか、腐らないようにとか、そこに意味があるんです。
この事『意味があるつくり』である事に、昔ながらの家づくりを始める前の私にはカルチャーショックでありました。今時の家づくりで意味のあることは少ないですから・・ いえ、むしろ意味に反したことばかりが目につきます。
意味とは、自然の道理、自然界の摂理にそうための理という事です。先人たちの生み出した『意味ある形』に惹かれ始めた所以でありました。

我らが期待のホープまーくんです。頑張って左官やってますよ〜
間渡し竹をしならせて穴に間渡しを納めていっています。柱に傷をつけないように加減をしつつ、かなり力もいります。でも力を入れすぎるとボッキっと折れるから加減が大事。

間渡し竹が納まった状態です。

ここに竹を割った割竹を掻いていきます。(「編む」と言わずに、「掻く」と言います。)

まずはタテの割竹から。先ほどの間渡し竹に割竹を藁縄で掻いていきます。
この時に藁縄は水で湿らせて作業します。水で藁が湿ることで縄がしなやかになります。
そして藁縄の編み方は、『千鳥掛け』をします。

これが「千鳥掛け」です。
縄の編み方は2種類あって。「螺旋巻き」と「千鳥掛け」。螺旋は縄を引っ張れば解けやすく、千鳥は交互に締めて巻いていくため解けにくい。これも「螺旋巻き」のほうが
簡単に縄を掻きやすく一般的なやり方ですが、より良い仕事をめざす昔ながらの家づくりは「千鳥掛け」をして頂いています。

そしてタテの割竹は下の構造材からは浮かすこと!
これは必須で、タテの割竹が構造材に引っ付いていると、重い荒壁土が付いて荷が掛かって沈んだ時に壁が弓矢のように膨らんでしまうから。沈みを計算しておいて、ほんの少しタテ割竹を浮かしておくんです。さすが!
ひとつひとつ意味ある仕事があるんですよね
昔ながらの家づくりは、そんな些細な意味ある仕事の積み重ねでできあがってゆきます

静かに熱い刻み中。。

 

『風薫る家』の刻みが、静かに進行中です。
「お金に囚われて、職人としての心まで失いたくない。」
そんな若き棟梁との出逢いにより、
今回昔ながらの家づくりをお願いすることになった『風薫る家』。
棟梁としては始めての大仕事になります。昔ながらの家づくりは熟練の大工さんにとっても大仕事であり、きっと大きなプレッシャーもあるでしょう。
しかし私としては未来に繋ぐべき次なる世代を育てていくことが家づくりの最重要課題でもあります。熟練の年寄り大工に任せる方が、設計者としてもお気楽に安気でいられますが・・しかし若い世代が育っていかなければ一時の安泰でしかありません。それは今の家づくりの現状を見るにつけ今生きる人がしっかりとしなければ先がないことを感じてしまうからでもあります。
安く早く手間を抜いて効率優先で家づくりがされてきた現代、職人本来の技術や智恵は確実に失われていってます。みな日々のお金の仕事に追われ、足元をみる余裕がないのです。いずれ家づくりでは職人と呼べる人はいなくなって、既製品やメーカー住宅しか建てられない時代が来てしまうだろうと・・・危機感を感じています。

同時に・・それは自然に寄り添いながら生きてきた私たち自身の生き方そのものを失うことを意味しています。失えば・・この地球において私たち自身も生きられなくなる事でしょう。

昔ながらの家づくりは、技術を繋いでいくための貴重な場だと思っています。仕事の機会を与えることで職人さんたちは生かされます。生きる環境がなければ、生命と同じく死んでいきます。
この愛媛でこれから先もずっと、木と土の自然にも人にも優しい循環していく住まいを、子供たちへと繋いでいくためにも、一軒一軒の家づくりを通しながら職人たちを育てて遺していかなければと思うのです。。

建て主さんにとっても本当は熟練大工さんの方が気持ち的に安泰でしょうが、誰しも”初めて”を通り越して成長していくもの。懐を大きくして見守ってくださっています。
そう、、昔ながらの家づくりを取り戻すために家づくりを始めた当初、若き私たちをずっと見守って育ててくださったのも、建て主さんの大きな懐があってこそでした。そのことに今でも感謝が耐えない思いでいます。
そして今でも昔ながらの家づくりは常に『育ての場』には変わりません。家づくりそのものまだまだ成長をしていっています。課題もあります。そして先人たちの物づくりの域に到達するには、まだまだ。
家づくりそのものを建て主さんと共にえていく育てていく、それが昔ながらの家づくなのです。

水木棟梁の相方として家づくりに関わってくれている大石さんも、職人としての熱い志をもたれている方。今どきの家づくりに嘆きつつ、お金よりも良い仕事をしたいという思いで日々おられて、ご縁の導きがありました。こういった若者がまだまだ何処かに残っているんですよね。
若き二人の純粋さが引き合わしたと言いましょうか、いえ目指す方向が同じだから出会わせたのでしょうね。二人ともこの大仕事を前にプレッシャーもありつつ、でも「勉強になる。ありがたい。楽しい!」と言ってくれます。

刻みもとってもとっても丁寧 見えなくなるはずの仕口も隅から隅まで「綺麗〜!」と声にあげてしまうほど。時間はかかりますが本当は見えなくなる部分がもっとも大事でもあります。こういった手間暇を惜しまず仕事をしてくれるという事が、一番に家のため建て主さんのためにもなるんですよね。
ひとつひとつを大事にしてくれながら出来上がる家、それが建て主さんのためにならないハズがありませんよね。

「丁寧な刻みをしたから家が高くなる」という事ではありません。多くの人は誤解をしています。
職人として自分が許せる自分が納得する仕事をする。職人さんとしてはただそれだけなのです。その気持ちはプライスレスなのです。それが本物と言える仕事、職人だと思います。。
そのための場を提供するか否かは建て主さん次第なのであります。

お金お金と言っている人にかぎって、ちゃんとした仕事ができない人ばかり。
これは職人さがしでつくづく感じた次第です。

お金よりも、まずは心。
心技体の言葉が教えてくれるように、まずは最初に心がなければ技術も浮いてくるし身体にも染み付かない。何事も始まらないのです。それを強く感じます。

心のある職人さんたちとともに、これからの未来ある誇れる家づくりを
和(輪)になって繋がって広めていきたい。

喜びの灯火が和(輪)になってひとつにつながった時、美しい世界がまっていることでしょう。。
夢みて一歩一歩、心ある者同士が支えあい歩んでいる最中です。。

梅雨の晴れ間は忙しい。。

 梅雨の晴れ間は忙しいです。。
って昨年も同じタイトルで書きましたっけ
今年は例年になく特に雨が降ります
だから晴れ間は、貴重〜
晴れてくると身体が、デスクにジッとしていられません。そわそわ、そわそわ
そして伸びに伸びきった田圃の草取りに

はは〜すぐに飛んでいけれる仕事体制がいいでしょ
そんな我が家は農家ではなく設計事務所です
数年がかりでこういう体制にしてきたところ。
家づくりも変わったし、生き方も暮らし方も変わりました。
お金や時間に追われる暮らしではなく、自然に添うことをベースにした暮らし。
それが昔ながらの家づくりだったり、農的な生き方だったりします。

一本一本手植えされた稲たちもずいぶんと大きくなりました。
勢いよく分蘖をしています。
機械で植えるために育てられた苗とは違って、手植え前提なので出来るだけ根も傷まず、しかもしっかりと穴を掘って根を地面に活着させられるから見るからに勢い(生命力)が違う感じがします。1本植えでも立派に育っていきます。

そして草のほうも見事に育っておりますよ
稲か草か?を見極めながら草取りをしていきますが、こぼれ種から勝手に発芽した野良ばえと、ひこばえ(刈り取った稲の株から生える新芽)が予想外の量あちこちに点在してあって、それもさらに生かすことに。これがうまくいけば来年からは苗を植えなくても勝手に育ってくれるのでは?という甘い期待があるのです
茅(かや)などの類は勝手に年々、株が大きくなっていきますから、イネ科である茅がそうなら稲も・・という訳 いずれ一抱えできないほどに育った稲穂を収穫している私〜 ウシシシ

水に浸かっての草取りは案外きもちがいいものです。
チャプチャプという水音をさせながら、もくもくと作業。
若い稲のうえをわたる風。空には流れゆく雲。きらめく水面。
自然のリズムに身をゆだねます。
梅雨の晴れ間は忙しいけど、なんだか気持ちはのんびり
太古の大昔から変わらない光景がここにあると思うと、昔も今もひとつに感じますね。。

ゆっくりと、じっくりと。。

 『ゆとりの家』も、建前以降の雨続きで、現場もゆっくり。。
梅雨の晴れ間を見計らいながら屋根の板金仕事をすすめていく。
まあ、急がず慌てずの工期を確保しているから、それもできること。

職人さんたちとは常に話し合いながら各所の納まりを決定していく。
つどつどの風景。作戦会議といったところだろうか。
この職人さんたち目線での会議がないと、良い家はできない。
家づくりの現場では、納まりが難しかったり、長く使っていくうえで発生しそうな問題もでてくる。それぞれの専門職からの問題や提案をうけて、それに関連する職人さんたちとの話し合いが進められる。
このときも浴室の天井裏にたまりそうな湿気を後々のためにも抜く工夫をしておこうという話になり、作戦会議。建て主さんからすると一生気がつかないで終わることなのかもしれないけど、現場では常にさまざまな配慮が施されながら進めていかれる。こういった積み重ねがあるかないかが、大きく家の出来栄え(出来上がってすぐの見た目ではない、後々長く住んでいった時の価値のこと)に左右するところ。
だから作戦会議は大事なんだよね

 

私は職人さんたちの声を大いに活かしたいタイプ、だから職人さんたちも率直な意見を出してくれる。もちろんそうでない設計者も多いし、極力職人とは話合いたくないと言う設計者もいて世間の家づくりはさまざま。
でもわたしにとっては、長い経験をもって専門職としてやっている職人さんたちが納得して自信をもってできる仕事がまずは大前提。そしてそのうえで私という設計者が美しさや使い勝手、建て主さんの考え方、長い年月に耐えうるための全体の調和をはかっていくのでもあります。
家は設計者の図面さえあれば出来上がっていくと思っている人も多いようだけど、でも違う。本当の良い家づくりは設計者だけの図面でできあがるものではなく、まさに職人さんたちとのチームによって完成していくものでもあるんですよね

そのチームにはもちろん建て主さんも加わっています。
3時の休憩時間に、ジュースやお菓子の差し入れ。職人さんたちの気持ちや仕事に感謝して、現場を心地よくしていくこと。建て主さんの職人さんへの心遣いや思いやりが、そのまま家にかえっていくんだとも思います。
建て主さんも頑張ってます

大地につながる時間。。

よく降る雨のおかげでお野菜たちも日々ムキムキと育っています。
家づくりと同じように農的なことも我が家では同じぐらい大事なこと。それは生きていくために不可欠な事だから。お金があってもそれは本当の意味での安心ではないし、お金があっても食べていけれない時代がくるかもしれない、という思いも一方にあるから。だから自分たちが生きていくための食べ物は自分たちがつくるというのは私たちの基本でもあります。

今年も、こぼれ種や野菜クズから勝手に生えてくる野良ばえたちの見事な数々。
瓢箪かぼちゃの勢いはすごい〜!夏の畑はコイツにほとんど占領されてしまうほど昨年は50個近いかぼちゃを収穫してたくさんお裾分けしました。何もお世話していないのに〜 いつも自然からおこぼれを頂いている感じのする私。

 

トウガラシにツルムラサキも野良ばえです。鉄分たくさんのツルムラサキは美味
種取しなくても、毎年ヒョコヒョコとこぼれ種から勝手に発芽してくれます!
ありがたい。

 

ニラも畑中に点在!これは球根で越冬するから何もしなくても育つ野菜でもありますが・・、それでも種が落ちて年々増えているような。ニラ炒めにギョーザ、他の野菜がない時に重宝してくれます。
そして左は私の大好きな冬瓜 お酢の物から炒め物・煮物・サラダにととっても大活躍してくれるお野菜です。こちらもお約束どおり毎年、台所から出た野菜クズから発芽してくれるから、もう種を撒かなくなりました なんてスバラシイ!
今年は裏の畑は冬瓜と瓢箪かぼちゃたちの自由にさせようと思っているので、さてどれだけ収穫できるかな

そして紫蘇なんか、手におえないぐらい野良ばえが出てくる。毎日どっさり使っても、ありあまるほど。友人たちへの良いお裾分け品
つくづくお金で買う馬鹿らしさを感じてしまう。買うと紫蘇も高いし、山ほど使うナンテありえない。しかもお裾分けできるんだからこれほど豊かなことはない。豊かに生きるうえでやっぱり農的な暮らしは必須ですね!



ニンジンだって、花が咲いて種ができたら、その場でその種をパラパラとほぐして大地にかえすだけ。あとはニンジンが自然に勝手に時期がくれば発芽して育ってくれる。だから我が家のニンジン畑は、ニンジンたちが一列に綺麗に並んで育ってはいない。ランダム
生きたいという強い意志がある物が育つ。ただそれだけ。自然界も同じですね。
理想は・・人があまり手を加えなくても勝手にお野菜が育ってくれる野良ばえ農法〜 

それと今年はオクラ、キューリがイイ感じ。こちらは野良ばえ農法ではないけれど、落ち葉などの腐葉土を山から取ってきて育てています。イイ感じにムキムキに 

 

夏大根も育ってますよ。夏はおろし大根にして手打ちうどんに利用することが多いので欠かせません。そして今まであまり上手くいかなかったトマトですが、今年はイイ感じです。保存用のトマトピューレが作れるぐらいになりたいな〜と思って気合が入ってます!
こうやって年々、お野菜さんたちとの付き合い方も上手くなっていっている私たちです

 

結局のところ、野菜づくりに大きく左右するのは大地の性質。土壌の質が野菜たちに影響をする。油粕や米ぬかなどの肥料をいれないし、当然化学肥料は論外、だから強くて利く肥料分がない分、土と野菜の相性がもっとも問われることに。うちは3つある畑で、野菜の性質ごとに畑分けをしている。乾燥しやすい硬い土の大地。砂質の大地。水気がおおい粘土分の多い大地。乾燥を好む物を、水気のある粘土大地にもっていっても育たないし、逆に水気を好む野菜たちを、乾燥しやすい大地にもっていっても育たない。肥料に頼らない分、まずそういった育ちやすい環境かという基本的なことが重要に。。
でもなかなか実際に育ててみたりしないと野菜たちの個性も見えて来ないし、畑の個性も分からない。年々少しずつ自分の畑と野菜の相性を知ることに。それが農の楽しいところでもあるんですよね


美味しそうなジャガイモの収穫!収穫は何にも勝る喜びですね


ズッキーニとツルムラサキが今の我が家の旬!

自分たちがつくったお野菜たちが食卓にのぼる幸せ
お野菜をつくることを「たいへん、しんどい」と思う人もいるかもしれないけど、私はあまりたいへんだと感じたことはない。自分が愛情をかけたお野菜を頂くというのは何にも勝る幸せだし、本当に安心できる物を食べるという事は身体にとっても喜び。自給自足は不安定な食事情にも動じることないし。
そして何より土にふれるという事そのものが毎日を健康に豊かにしてくれるような気がする。自然を観察し、自然の摂理に感動して、自然に癒される、そこには疲れは感じないし、むしろエネルギーを貰うことの方が多いのです。
土にふれること、生き物にふれること、季節を肌で感じること、人にとってはきっとこの大地につながる時間が不可欠なような気がします。大地とつながって生きるほど、喜びが
特に、忙しい時代だからこそ・・
常に時間やスピードに追われ、競争を強いられる時代。大地から離れた暮らしをすると、思考の仕方も乱れてくるし、何か満たされないものを求めるように。農的な暮らしをぜひ

今日も畑が心地いいです

昔ながらの家づくりミニ塾『木組みを見よう〜』終了。。 

 昨日、昔ながらの家づくりミニ塾『木組みを見よう〜』が開催され、雨のなか熱心な参加者さんたちがお越しくださいました 

家の寿命や、住む人の安全にも左右するもっとも大事な骨となる『木組み』のことや『大工さんの刻み仕事』のことをお話しました。きっと普通は工務店さんやメーカーさんではあまり聞かされない話ではないでしょうか。出来上がった仕上がりや空間や間取りやキッチンやお風呂などには目が向いても、なかなか家の骨になる部分には、多くの人はとっても無関心です・・
命をまもるための骨なのに・・ 
っと言うことで、消費者の見る目を養い、良い家づくりをしていくための基礎知識を身に付ける勉強会になればと思い、ミニ塾開催に至りました

たとえば・・「プレカットってどういう事?」「金物を使うと本当に丈夫なの?」という事を実物をもって体感いただきます。

”腰掛蟻継ぎ”ですが、持つと分かるようにカタカタとします。そのほか”蟻掛け”のサンプルも同様にカタカタ・グラグラ
特別にご用意した物ではなく、普通に使われている物をプレカット工場で譲ってもらった次第。機械なので全て同じシロモノが量産されます。
見るからにカタカタ・グラグラ。やっぱりこれでは金物が無くては持ちません・・。だから「金物を使っているから丈夫な家」と言う言い方は大間違いで、「金物が無くては持たない・・家」と言ったほうが正しいでしょう。

その反面、先人たちの智恵のもとで手刻みをした大工さんのしっかりとした仕事は異なります。

 

”目違い金輪継ぎ”です。金輪栓を打ち込むと、ギュギュと引き締まっていきます。そして材と材は一本物と変わらない、グラグラ・カタカタとは無縁の丈夫さに!

 

そして本物の木の家では当たり前に使われる木の栓”込み栓”の効果も体感してもらいました。
込み栓はただ、材と材をとめているのではなく、込み栓を打ち込むと材と材がギュギュっと引き寄せられて締まっていく効果があるのです!金物を使わなくとも、いえ、金物が足元にもおよばない効果がそこにあるのです!家全体がこの込み栓によってギュと締まって一塊に
先人たちが編み出した木の栓はスゴイ〜のです
そんな事を体感していただきました。

あと、貫構法の昔ながらの家と、筋交いのある今時の家との違いなどなど。
私たちが「古臭い〜!」とか「昔の家はだめだ〜!」とか思ってきた(思わされてきた)数々。でも実は昔の家はいろんな意味で理にかなって、先人たちが試行錯誤した末にのこしてくれた素晴らしい家づくりなんだという事を、ほんのちょっと感じて貰えたかなと思います。。

でもなかなか、こうやって声を出さないと駄目な時代。。
書店に行くと、建築家紹介の雑誌があって・・あと先を考えない建築家の自己満足な家づくりのオンパレードです・・

輸入木材を使ったり、木材を活かすことのない家づくりに、死んでいく林業の姿。。
職人本来の技や智恵を必要としない家づくりに、長い年月によって培われてきた職人の技術も消失寸前!
メーカー商品や建材が潤っても、地場の素材や地場の職人・地場の経済もが殺されていっている現状。
環境や人の健康には無関心。『真の安全』とは程遠く・・。お国まかせの安全神話に依存する姿。
土に還らない素材で家を造るという事は、まったく原発と同じ、未来に出てくるゴミに無責任という事なのです。

もう〜!ホント、私にはこの先の未来そのものがないことが見えます
消費者は仕方がない部分があるけど、建築に携わる者には責任があります。

建築とは決して自己満足でやってはならない行為です。また商売だけでやってもいけない行為です。目に見えないこれから先の未来をつくる行為そのものなのですから。

未来を育むために、少しでも自らの仕事を通して何らかの努力をし、またその仕事に胸を張れないのなら建築を辞められた方がいい。厳しいようだけど、それだけの仕事が建築でもあると思うのです。。


っと・・今日はわたくし毒を吐きました
なかなか変わらない世の中の現状に・・
小さな設計者の叫びでもありました・・。


今後ミニ塾では、消費者自身の見る目を見に付け養うための勉強会を開いていきたいと思いますご参加を!
ミニ塾開催の機会を設けてくださった建て主さんには感謝が絶えません。そして活動に影ながら協力をしてくれる仲間たちに、ありがとう
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