今年一番の惨事、涙、涙・・

 お米づくりのほうも順調に、分蘖も良くって、一本植えの苗が大きな株に育って、お米づくり始まって以来の一番の上出来な生育状況に・・なってました・・・

それがこの通り・・
イノシシに荒らされ無残な姿に・・
最初は・・、こちらもお米づくり同様に立派に育った里芋スペースにイノシシが出没!
里芋の足元にある紫蘇を根こそぎ全部ひっくり返しては、土中のミミズを食べた様子。
そこまでは良かった。「紫蘇ぐらいなら〜」と思っていたら、次は里芋をひっくり返して、この惨状・・。
里芋自体には関心がないようで、完全なミミズ狙い!

徳さんが、せっせと落ち葉を取ってきては落ち葉堆肥として、施肥された里芋ゾーンにはミミズも豊富。さぞご満悦であったことでしょう。。
しかし味をしめて、それ以来毎晩のイノシシ出没・・
里芋の半分以上はすっかり掘り起こされてしまって

 

それまでならまだ良かったのだけど、今度はお米まで・・
大事な大事な我が家のお米が!!!
日増しにひどくなるイノシシの横暴な振る舞い。私も徳さんも堪忍袋の尾が
・・っと言っても何かが出来るわけではありません。ひとまずネットで覆うことに。。

今年は、田圃の近くの調整池で大きな改修工事があって、その周辺がイノシシの良い餌場になっていたところを人間が荒らして、イノシシの食べる物がなかったという事。
そう考えると、悪いのはイノシシばかりではないよな〜と、イノシシばかりを責めれない気がしたのであります

そんなこんな我が家の田圃のネット張りも一段落し、ホっとしていたのもつかの間。
今度は神子の森の、kimiちゃんの田圃がイノシシ被害に
こちらも日増しにひどくなる様子。
女一人のお米づくり。見てもいられず、ネット張りを手伝うことに。

神子の森も、今年は24匹のイノシシを捕獲したと総代さんが言っていた。
年々、ひどくなる獣被害。イノシシだけに限らず、猿や鹿、カラスまで。
んんん・・・、なんとか調和して共存できないものか。。

最後に、kimiちゃんの田圃でみつけた青大将の子供です。(苦手な方、お許しを〜)

 

目は、とてもとても優しい目をしています。可愛い〜
嫌われ者の蛇だけど、自然のなかでは大切な役割があって存在している命。
そう思うと愛しくなりますね

イノシシだって、人間の都合でブタと掛け合わされてイノブタ化されて多産に。
そのせいもあって繁殖力旺盛のイノブタが今や農村部では作物被害の原因に。
もとをたどれば人間の都合で、自然の循環が崩れている。
そう考えると、獣被害も、私たち人間の営みそのものをもう一度みつめなおす必要が問われそうです

熱い熱い建前4日目。。

 熱い熱い建前も4日目になりました。
常に現場に張っている私も、もう真っ黒!
現場に到着するとすでに登り梁がはいっており、メインディッシュを食べ損ねた感じです・・
でも、ひとまず難なく納まったということですね。。

美しい登り梁の様子。LDKの空間はこの登り梁が表しになって見えてきます。
木組みの美しさ、大工さんの技が堪能できる空間といっていいです。
こういった木組みの昔ながらの家づくりを始めてから、変にデザインをしなくても、そのままありのままで十分に魅力的な空間づくりができるようになりました。
いえ、小手先だけでデザインした空間がどんなに頑張っても生み出すことのできない用の美、力強く本質的な美しさをそこに感じることができるのです。
ひとつひとつが意味をもって存在し、和になって、ハーモニーとして生み出される美しさ。それは木組みだけでなく、大地の柔らかい風合いの土壁であったり、温かみと手触りのよい木の建具であったり、ほっこりとした紙の表情であったり、清々しい草の薫りをはなつ畳であったりと、すべての調和をもってこそ生み出される空間と言っていいです。そこに本質的な美しさ。私たち生き物が生き物としてもとめてならない美しさを強く感じるのです。。
ボード張りだった家から、土壁の家を初めて実践し体験したときに感じたことでした。。

心ひかれる美しさをそこに感じませんか?誰もが感じる美しさのようなもの・・
なんだろう・・?っと感覚に耳をすませていると、そこには大地そのものの美しさ、心地よさ、感動があるように常々感じるのです
人の手が加わったものだけど、自然のものを最大限に生かそうとするとき、自然はちゃんと応えてくれる。大地の美しさがそこに存在しています。。
『生かす・和』というのは、私の生き方のテーマでもありますが、昔ながらの家づくりをして、この家たちに教えられたことです。
忘れていた感覚・・日本人としてのスピリッツがそこにあるのです

さてさて建前から、話がそれていますが・・
母屋がかかり始めます。母屋がかかる束も、さり気なくロフトの手すりが支えることに・・これ用の美ですね

棟木は何気に、棟梁がカケヤをもって納めていました。
皆のさりげない心遣いを感じました。。

玄関の土間、縁桁などが納まっていきます。
この家は下屋がおおく付いていて仕事がいつもより多くありました。初の大仕事となった水木棟梁、サブ棟梁で棟梁を支えてくれた大石くん頑張りましたね
初にして見事な建前となりました。私も肩の荷がおりました〜

 

今の時代、若い大工さんたちはどうしても経験が不足してしまいます。大工になっても墨付けや刻みを必要とする現場がないからです。プレカットは便利で楽だけど、でもその一方で若い職人さんたちを育みません。若いやり手の大工さんがいても、それが生かされる現場(家づくり)がなくては、技術が受け継がれていかないのです。今のほとんど多くの現状はそうです
応援に来ていた最年少の大工さんが言っていました。
「こんな現場から言うたら、今やっている俺達のしごとは大工と呼んだら申し訳ない仕事や。貼り物ばっかり(ボード貼りや建材ばかり)で、大工じゃなくて貼り物屋さんと言った感じや・・。」
若いやる気があって能力があったとしても、そこに育む場がなければ若い子は育たないです。悲しい時代・・ 

それは家を建てる方々にとって最も不幸な話ですが、またそれはイコール、わたしたちの未来を示唆しています。若者を育むことのない未来が待っているのです。そんな社会は機械に人間が使われ、喜びや、自然や人を生かすことのない社会です。そんな社会でいいですか〜?
今回、応援に来てくれた大工さんたちは「すごく刺激になった〜」「手伝いにこれて本当によかった〜」と言ってくれました。大石くんも「この家に携わって間違いなくこれからの自分の仕事に大きな影響が出る」と。たかが一軒の家づくりだけど、その影響は確実に大工さんたちの心に何かをのこしたようです
重労働の建前であったけど、水をえた魚のように、笑顔がたえない建前。嬉しいかぎりでした。

昔ながらの家づくり。
育み生かす喜びの家づくり。。
ひろげていきたい。。

みんなお疲れさま。ありがとう〜
そして貴重な機会を与えてくださった建て主さんに深く感謝いたします
お疲れさまでした〜


熱い熱い建前3日目。。

 建前3日目になってきました。
連日、強い日差しのなかの建前、大工さんたちの仕事ぶりに尊敬のまなざしなくしては見れません

建て主さんも、連日ずっと大工さんたちにお茶を振舞ったりしながら見守ってくれています。やはり大工さんたちが苦労して何ヶ月にもわたって刻みあげた材がカタチとなっていく姿を、目に焼き付けること、それが大工さんたちの労に対しての礼儀でもあります
昔ながらの家づくり、礼には礼をつくす。お互いが心をつくすことで成り立つ家づくりでもありますからね。それが大切

建ってしまえば見えなくなる仕口や継ぎ手の巧みさをしっかりとビデオに納めていましたよ〜

建物のほうも、差し物類がはいっていき、どんどんと組みあがりにくくなってきました。
まるで難解なパズルのよう・・。1階2階通しの通し柱は、すでに足元や腰まわりが組まれており、ビクとも動きません。そのなかに差し物類を組み込むのはそう容易ではありません。でも智恵を出しあえばなんとかなるもんです
少し時間はかかりますが、ひとたび納まった材はそう簡単に抜けることがないということを実感します。そして差し物類でひとかたまりのようになった壁は、地震の際に柱の上下だけの仕口が力を負担するというより、まるで格子状になった幾箇所もの仕口で力を負担しあうカタチに。



こちらは小黒柱。こちらもあっちもこっちも差したり掛かったりしなければいけないので、時にはフレームを広げたりしながら入れ込んでいきます。長いホゾが小黒柱に突き刺さります。

やっと納まったかと思うと、今度は反対側の梁を。建て主さんもこの瞬間をのがしてません

あっちもこっちも掛かったり差さったりするから、やっぱり入れにくい。

でもひとたび納まれば、どんなことがあってもビクともしないような、安心感が沸いてきます。

そして随所で、さらにフレームを固めるために、梁の上にさらに梁を載せて、木を幾重にも組んでいきます。こうすることで梁組みが格子状になり、水平方向の粘りにつながります。
一般的な工法では合板や筋交いや火打ちで固めますが、昔ながらの家づくりはそれらを使わない分、木組みである程度の粘りを出すわけです。逆に言えば、一般的な工法は木を組まなくなった分、それら合板やらに頼らなくてはいけなくなったとも言える訳です。

材と材が噛み合わさっていけばいくほど、全体で力を負担したり分散したり粘ったりします。それが木組みの真骨頂でもあります
差し鴨居や差し敷居、足固など、現代の家づくりが捨て去ったもの達によって、ひとつひとつが地震の際の底力となって機能しあうつくりなのです。
昔ながらの家づくりは、和の家です。すべてが和となって全体でもって機能していく精神がそこにあります。すべてを生かすこと、それが和のスピリッツ。う〜ん、この和のスピリッツにいつもながら畏敬の念が絶えませんね。。



綺麗。。。
美しい。。。
こころを打つような美しさがそこに存在します。なにか現代人が忘れ去ってしまっている美しさを。。
きっとここには木を生かし、人を生かし、自然を生かす。存在ひとつひとつをいかして、全てが和となって調和していく世界。和のスピリッツの美しさがあるからこそ。。
私が昔ながらの家づくりに感じるエネルギー、そしてもっとも惹かれる理由です。。
こんな家づくりに携われて、いつも幸せなわたし〜

棟があがりましたよ〜
でもまだまだ。。

なんだか建前なのに・・今度は繊細な作業?



この繊細な作業に加え、こっちもあっちも差し込まないといけないから、かなりたいへんです。結構、これ建前の時に、大工さん嫌がるんですよね〜
うまくいくかな?



昔はよく長屋門などのタテ格子もこうやって建前の時に入れていたんだって。うまく納まって、いい雰囲気〜
どこか、風を感じますね〜
またひとつ昔ながらの家づくりに、教えられたような感覚
建前4日目につづきます。。

熱い熱い建前2日目!

 建前2日目です。今日もアツイアツイ
さすが職人集団!建前2日目とあって、それぞれの持ち場や段取りがのみこめ、全体のチームワークがとれてきたようです

かの宮大工・西岡常一氏は『木の癖組は人組みなり。人組は人の癖組みなり』だと言いましたが、今回は個性ある一匹狼の若い大工さんたちがあつまって、その誰一人もが欠けても成り立たない建前であることを強く感じました。
棟梁が指図することなくそれぞれが一番にベストと思われる持ち場に自然と落ち着き、自然とその個性にあった仕事をこなしていました。すごいその連携プレーの巧みさと、個々の力が最大限に生かされているように感じたのは、どこか同年代の大工さんたちが、初の大仕事でもある水木棟梁の建前を皆で支えるといった気持ちが自然発生的に生まれたからのように、私には感じたところ。。

木組みは人組みであって、人組みは心組みであると言います。
水木棟梁は、経験豊富で皆にどんどん指図して「俺について来い!」的な棟梁ではありません。どちらかと言うと物腰が柔らかい控えめな棟梁さんなのです。それがかえって皆の力を発揮させたように感じますね。。
なんだかまた大切なことを教えられたような気がします

棟梁も「僕がやったのではない。みんなが支えてくれたからできた。」と、やっぱり控えめ。この控えめさが、みんなを主役にした建前でした。
そして棟梁サブで、棟梁の右腕となって皆の志気を高めてくれた大石くんの存在はとても大きく、今後の彼には期待が募ります。。
ホント、、よい心意気をもった大工さんたちばかりが集まってくれて、よかった〜

若いってすごいですね〜
力もエネルギーもあります。そしてそれぞれに難所をくぐりぬけるために智恵を出し合います。ひとつになってという感じです

そして今回はよく差し口が効いていました
差し口が効くというのは、ホゾとホゾ穴がピッチリに造られているということ。もちろんその分、かなりカケヤを叩かなくてはホゾも入りにくいです 力も時間もかかるという事。大工さんたちも暑い日差しのなか汗だくになりながらカケヤを振ってくれました。たぶん・・このホゾの効かせようで一日分は余計に建前の時間がかかったのでは?と思います。しかし、それは建て主さんにとっては絶対的な安心感でもあります。一生の家の寿命や強度に左右することでもあるのなら一日分余計に時間がかかってもキツメに仕口がつくられている方が正解です。

入って納まってしまえば、ホゾがゆるくてもキツクても同じように見えます。プレカットはゆるゆるでグラグラした仕口のつくりです。しかしゆるゆるにすれば出来上がってから建物全体が揺れやすくなります。木の家では、ひとつひとつのホゾの効きが全体をもたせることになりますから最も重要であり、目に見えない大切な部分です。

昔ながらの家づくりは、柳のようにしなやかに揺れるつくりだと私はよく言いますが、でも地震のゆれでクニャクニャに揺れてはいけません。ある程度、ホゾが効いてくれて、そしてそれ以上の強い地震力が働いたときに、ホゾ穴のなかでホゾがめり込んで揺れるのです。
よく昔ながらの家は地震がきて、揺れて傾いても、その傾きが元に戻るといいます。
それはこのめり込んだホゾが、また元に戻ろうとする復元力が発生するからでもあります。

大工さんの一人に建前の感想をきくと・・
大工さん「この家はぜんぜんグラグラせんかった〜すごいわ!」
設計者「いつもはグラグラするの?」
大工さん「プレカットはグラグラやね。カケヤなんかいらんで手ではいるぐらいやからね(笑)!」
設計者「なんでそんなに仕口が甘いんやろ〜?」
大工さん「仕口の甘さは調整ができるようになってるらしいけど・・、早く建てる、メーカーはやっぱ効率優先やけんね〜。どこも・・」
っと、メーカー住宅に応援に行っている大工さんが言われていました。

強く言います!
木の家は本当は目に見えないところが命です
強度も寿命も、そこ次第で決まるのです
法律や保険や金物が命を守るのではないという事。
大工さんたちのしっかりと手間と時間をかけ、最善を尽くそうとするきっちりとした仕事が、命をまもるということに他ならないということです
建前2日目終了。。まだまだこれから。

出来上がってカタチとなっていく姿を感慨深げに眺める水木棟梁と大石くん。
その想いはいかほどなのでしょう

いよいよ『風薫る家』の熱い建前です!

 いよいよ待ちに待った『風薫る家』の建前です!
水木棟梁の独立後、初の大仕事となり、慎重のうえ慎重を重ねて刻みをやってくれていました。相方で棟梁サブとして一緒に刻みをしてくれた大石さんも、同じような想いで進めてくれました。。
墨付けから刻みに、半年ちかく。

 

妥協を許さないお二人。見えなくなる部分までもピッチリと
誠実なお二人の人柄がよく出ていると感じます。。
昔ながらの家づくりは、経験豊富な大工さんでさえビビッて引いてしまうぐらいの仕事です。若いお二人にとっては、それ以上のプレッシャーがあったかと思いますが、ひとつひとつを確実に進めてくれていました。
そして最後の仕上げは、水木棟梁の兄弟子さんが応援に来てくれて手鉋(手カンナ)で一本一本削ってくれました。胸には『削ろう会』という文字!削ることに命を燃やしているような大工さんです。そんな方に削っていただいて光栄です。
今のほとんど全ての家づくりでは機械が削ってくれますから、本当にありがたいこと。


 

広い工場も、あっと言う間に木材に埋め尽くされ。

そしてお二人の仕事ぶりが、いよいよカタチに

建て主さんからの挨拶をうけて、建前がいよいよ開始されました
建前の応援にきてくれた大工さんたちも、ほとんどが30代で、みな水木さんや大石さんと同じ一匹狼でやっている方々。こういった昔ながらの家づくりの貴重な機会に、若い大工さんたちに大勢触れていただける機会が出来て、私も建て主さんも嬉しいかぎり
昔ながらの家づくりは、次なる世代を育む場でもありますから。。

さて地組みから。。大きな梁や柱を、ある程度、地上で組んでいきます。

大きなカケヤの音が、コーン、コーンとなり響きます。ココはかなりの街中。辺りをマンションが埋め尽くすなか、まるでこの一角だけが突如現れた異次元空間のような空気。
近くでは鉄骨造の大きな建物が建設中で、こちらはキーン、カーン、ガシャーンンという鋭い金属音がして耳にひびきます・・。でもここは、コーン、コーンとカケヤで木をたたく音。街中なのにどこか和やかな空気感が漂い、道行く人々も立ち止まっていきます。

集まった大工さんたちも、地組みにカルチャーショック!
まあ何から何までも今時の家づくりとは一風ちがいます
床組みも立派です。昔ながらの家づくりは床から組むこと、足回りをもっとも大事にします。
土台とともに足固めがはいり足元を固めます。そして同時に足元も2階の梁組みと同じように組みます。人間も足腰がもろいと、すぐに身体が駄目になります。家も同じなのです。。

 

しかし今回はアンカーボルトを設置・・・
悪しき法で、もっとも命をまもるための万が一の策、足元をずらすことが禁じられているのです。
先人たちはあたりまえにしてきたこと。想定外の地震力が働いたときに、柱の足元が基礎に連結されていないことで、ホゾや差し口に無理をきたす前に、力を逃がすことが出来た。これがどれほど自然の理のなかで、木の家に重要な意味をもっていたことか・・。
しかし今や、これを実現しようとすれば多額なお金をつかって高層ビルクラスの構造計算や難解な確認機関を通さなければならなくなってしまった
悪法ここにあり!

今、建築業界でもこのことについて、業界団体や認識者たちが悪法を改善すべく動いています。
そのときまで・・。将来的にはこの金物を外すことを前提に。石場建てにできるような設計を今回はしました。難儀な法律にいつも頭を悩ます設計者です。。

しかし・・金物やアンカーボルトが人の命をまもるのではありません。
それは法律や保険が、命を守ってくれるのではないということと同じです。
大工さんたちの本来のしっかりとした仕事が、住む人の命をまもるのです。
いつもどの時代も、法律は後手です
むしろ健全さをいつも邪魔しています・・。本当は誰がみたって本物は分かります。

道ゆく人が、職人さんに「この家は300年もつね」と言っていかれたそうです。今時の家づくりで300年待ちますねと言えるような家があるでしょうか。
そう、昔ながらの家づくりをしていると、みんな口をそろえて「やっぱりこれが本当やねえ」「強そうやね〜」「いい家やね〜」って口を揃えて言っていきます。みな、素人さんなのに
それだけ本当の仕事って言うのは、モノは言わないけど、迫力や説得力があるんですよね。専門家でなくったって分かるような力が。
私たち設計者自身が本物を見て体感して、「やっぱりこれや!」っと、変わったのと同じように。。
そこには本物だけがもつ力があるんだと私は感じます。。
今回、応援に来てくれた大工さんたちも、それを誰よりも肌で感じたようです。

法律どうりに家が建ったとしても、本当はもっとも肝心なことが抜けている世の中・・。
命をまもる。しっかりと造る。長くもたせるということ。あたりまえのこと。
時間がかかっても、手間がかかっても、一番に健康や命が大事では?
いえ、お金が大事〜・・なの?
建築業界にいて、感じる疑問です・・。

さて熱い熱い建前、2日目に突入です。。

お話会のお知らせ

来月上旬に東温市が東北の瓦礫の視察に行くというニュースです。西条市を流れる中山川の上流には日本最大級の処分場があります。今回東温市はその民間処分場への受け入れを視野に入れた視察とのこと。
前々から恐れていたこと・・いよいよ瓦礫の受け入れに動きはじめた様子・・。
そうなったら私たちの日常の場で、水や空気をとおして、そしてそれで栽培された作物をとおして、放射能が人体へと影響していくことになります。
瓦礫処理の問題は、福島県内で処理をしていくべきで、それを支援の名の下で広域処理するべきものではありません。それも裏を返せばまた利権?お金になる事業でもあるからなのでしょうか?
私たちも勉強したうえでそれなりの対応していきません。関口先生のお話を一緒に聞きましょう。。
取り急ぎご案内!
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「水・農・食」と「環境・ゴミ」の話をしよう
〜 震災がれき処理・廃棄物処分場の現場から 〜
 
いつまでも愛媛のそして西条・周桑の安全でおいしい水をのみた〜い!米、野菜、魚を食べた〜い!!
でも、環境問題、ゴミ問題を解決していくこと無しにこの願いはかないません。
そして福島第一原発からの放射能の大量放出による農産物、海産物の放射能汚染。さらに放射能に汚染された瓦礫の広域処理。
どうしたらわたしたちはゴミをもっと減らせるのでしょうか。そしてゴミや瓦礫が持ち込まれる処分場の安全性はどうなのでしょうか。瓦礫の広域処理は本当に必要なのでしょうか。
今回、震災の現場で放射能汚染調査を継続して行い、全国の廃棄物処分場の実態に詳しい関口鉄夫さんをお招きしました。いろいろとお話をお聞きしましょう!
 
 
とき:9月8日(土)13時半〜15時半
場所:丹原町 田野公民館
西条市丹原町北田野1587-5
TEL 0898-68-7501
参加費:¥1000 (資料代含む)
 
【関口鉄夫さん(通称:イノシシさん)プロフィール】
環境科学者・内部被曝研究会会員・元信州大学・滋賀大学講師
雑誌「たぁくらたぁ」初代編集長
環境汚染や健康被害の調査を続けながら、全国各地の住民運動や裁判を支援
1999年8回若月賞を受賞。福島第一原発の事故当初から南相馬市・浪江町・
飯舘村などの放射線量や健康調査を続けている。著書『ゴミは田舎へ』など。
 
主催:西条・周桑のうまいもん食べたい会   090-6754-6523(野満)
    ゴミを考えるネットワークえひめ    090-7781-4163(山之内)
 
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