続・春はいろいろと事件。。

昨日のつづき・・
今日は風がつよく分蜂どうかな?というお日和。
蜂の巣箱も特別なにも起こりそうもないぐらいミツバチの暮らしも日常に戻ったかのようでした。
朝の10時ぐらいには徳さんも気になっていてくれましたが、男チームで竹伐り作業があるようで、後は任せた!とその場を去っていきました まあ私も一人で大丈夫よっと言ったし

畑作業をしつつ1時間ごとに確認。しかし、んん・・何の気配もなし。
風もつよいから今日は分蜂なしかな?っと思ったら、その一時間後にいったら桜の木の枝にすでに大きな蜂の魂ができていました。やっぱり〜!!
っと今回は道具も服装も心の準備も万全だったので、焦りつつも作業開始

 

一人では、手が足りんなあ〜やっぱり誰かもう一人いるといいなあ〜と思うこと多々。四苦八苦しながら箱を傾けつつ、網を差し込みつつ、蜂を誘導しつつ作業をおこないました。白い服装をしておいたので、昨日のように蜂は襲い掛かってくることもなく、以外に静かに事が進められましたね。
まあもう刺されてもそんなに怖くないし。経験って言うのは強いですねえ
やっぱり女が強くなってる〜!

っと・・ほぼ終了間際になって、徳さん登場〜
なんでもっと早く帰ってきてくれんの〜っと、ちょっと泣きを見せてみたりして

残された蜂の塊をすくって、巣箱に誘導して終了。
女王蜂さんがうまく箱に納まったみたいで、蜂たちも逃げることなく箱に入っていきます。

でも巣箱が気に入らなければ、逃げちゃうんですよね・・。
どうかな〜。いついてくれるといいけど。ひとまず無事終了。
うまくいくと一升瓶2〜3本ぐらいの日本ミツバチの蜂蜜が採れるそう楽しみ

春はいろいろと事件。。

春は野山に山菜を採りにいったり、頂いた竹の子をゆでたりと畑の合間に忙しい。。
そんななか神子の森の総代さんの集落への若者移住者受け入れの取り組みがニュースになることに。そこで私たち移住者にも取材がまわってきて、北野家は自宅リフォームの取材や奥さまの鋳造の作品づくりの取材などがおこなわれたのでした。

我が家のほうも取材を受けることになって、徳さんのほうの手織り畳表の機織の様子や、私の畑作業の様子を撮っていただくことに。

そこまでは良かった・・。北野家取材、畑作業取材待ちの合間に、ノコノコと一人で工房に用事があって来て見ると・・なな、ななんと!蜂の巣箱を置いている箱から、日本ミツバチの分蜂が始まっていたのだった
(※分蜂:蜂が親元から巣別れして多くの蜂を連れ伴って巣立っていくこと)
蜂の分蜂時期は知っていたけど、他の蜂仲間からはもうすでに分蜂が終わったと聞かされていたので、我が家も今年は分蜂に立ち会えなかったと思って残念がっていた矢先の出来事だった

分蜂する蜂を捕まえて新しい巣箱に導くことで、飼育の数も増えていくのだから絶対にこの機会を見逃すことは出来ない。正直、一人かなり焦った私
箱はあるけど、徳さんを畑まで呼びに行く暇もなく、また捕獲のための道具もなく、策を練るけどこのままではすべがない・・
急いで取材中の北野家に飛び込んで、ひとまず網がないか聞くと、運良く物入れから古い網が出てきたのでした
これで腹が据わった、ひとりで捕獲に挑戦することに
捕獲は始めてだけど、以前二度ほどは蜂仲間がやっている様子は見ていたし、蜂も刺すことなく優しく捕獲できれば、10分ほどのすんなりといく捕獲作業である
のハズだった

箱をセットし、塊になっている蜂の群れを網で優しくすくい取って、それを巣箱に移すという簡単な流れ。がっ!しかし・・優しくすくい取った蜂の塊が網にかなりの重量でドッサっと落ちた瞬間に、網の底が破けた〜!!!!
ぎゃああ〜、網が朽ちていた〜
たくさんの蜂がこっちに向かってやって来た〜のだ!
蜂の集中攻撃にあい、刺される刺される刺される
始めて蜂に刺されたかも・・しかしそんな事いってられない、こうなったら任務遂行あるのみである

破けた網をしばり直して再挑戦、しかしやはりまた破けて蜂に刺される刺される
でも少しずつ蜂を新しい巣箱に移せているかも・・?
3度ほど挑戦して蜂の塊もだいぶ少なくなってきた。(上の写真)

そこで徳さん登場〜 待ってました〜 畑に帰ってこない私を探しにきたのだ。
期待大にしたのですが・・あんまり近寄らない徳さん。
「網と防護のネット買ってこないと」だって・・・
えっ?だってそんなの待ってたら逃げちゃうし〜 あと少しだし

という事でらちがあきそうになかったので、引き続き私が捕獲作業をすることに
徳さん、側で見るの巻
おいおい、どっかそれ図がちがうんじゃないの〜と思いつつも、そんな余裕はなく。
ちょっと刺されつつも手馴れてきたのもあって、作業を続行。

そうこうしているうちに蜂たちも危機を感じたらしく、もとの巣箱に帰り始めたのです。
私が移した新たな巣の蜂たちも同様に、もとの巣箱に。あ〜完全に惨敗です・・
まあ、いっか。完全に失敗だけど、そのせいで分蜂は伸びた訳で、きっと明日また分蜂だから、道具や心の準備もそれまでに整うだろうから

お陰で蜂に顔を刺されまくり状態
えっ、この後すぐにテレビ撮影だったけえ〜
このブログを見た人だけが知っている、取材前の私の事件簿となってしまった。さてニュースでどんな顔をしてるんだろう〜

かなり刺されて蜂の針を手で抜きました。抜ききれなかったけど。
でも想像していたより、蜂に刺されるの大丈夫かも私。
いやはや、またまた女が強くなってしまいましたわ
えっ、明日はやっぱり私が最挑戦なのかな?まあ、ほっとけないし

良い子の皆さんはくれぐれも真似をしないように、お願いをします
春は思いがけない事件が多いですね。。

新たな地、神子の森で4年目のお米づくり。。

 4年目のお米作りが始まりました
徳さんの手織り畳表工房を構えた神子の森という地で、新たなるお米づくり。
集落の上のほうに位置するこの田圃はダイレクトに山の沢から水が自由にひける場所。こんな理想の場所を探していました
そしたらここ田圃の持ち主さんも、田圃を誰かやってくれないか探していたところでありグッドタイミング

肥料を入れないお米づくりなので、山のミネラル分が豊富に下りてくる田圃が私たちの理想でもありました。そして乾季でも水の枯れることのない場所。
今までやっていたところは時折、水が来なくて・・
ときどき知らないうちに水が来なくなったりしていて田圃が干上がった事も・・
昔は水で争いが起こったというのを嫌と言うほど感じた3年間でした
でもこういった体験も必要であったということを感じます。

まずは苗床をつくって、種おろしです。
十分に落ち葉を施す時間がなくて、今回は手抜きしてます。
我が家はポットに撒かず、直播スタイル。
大地のエネルギーを直にもらって苗が大きくなっていきます。
その分、あとで苗分けの作業がたいへんなのですがね

今年育てるお米は、古代米である黒米・神丹穂米・緑米・白米(仮称)と、主食となる松山三井とササニシキの6種。そのうち麦のようにノギのあるお米が神丹穂米・白米(仮称)となります。
神子の森の美しい風景に、古代にタイムスリップしたかのような赤や黒や緑の稲穂がたなびくことを想像するだけでワクワクしてきます

白米・仮称と書いたのは、実はお米の名前が分からなくて・・とりあえず白米と・・。
実は古代米で赤や黒の穂が出るなかで、白い穂が出るお米があると聞いて、友人のネットワークを借りて取り寄せてもらったお米。白い稲穂、さてどんなお米なのか?こちらもワクワクしているのです。
赤や黒に混じって白とは、ちょっと村でも話題になりそうでしょ

古代米大好きな私たち。ノギのある古代米は、イノシシもあまり食べたがらないというのが私たちの推測。獣被害も考えられる田舎での、ひとつの解決策となれば、いいかな。そうなると主食は全て古代米となりますね
まあどこまでいっても昔スタイルの私たちなんだけど 
なんか昔の物づくりって意味あることが多かったのは常々感じるところで、そんな知恵を借りたいと思っている次第です

パラパラと撒いて、あとは土を掛けて出来上がり。
水も撒かず、翌日降るであろう天からの恵みの雨を待って
お米という生きていくうえでなくてはならない大事な主食を育てるという快感は、つくった者にしか分からない喜びがあります。
多くをもとめず、ただただ生かされているという感謝のもとで。。
さあさあ、始まりますよ〜

これからの時期。。


 家づくりもひとまずひと段落をし、徳さんの工房開きも終え、ひとまずほっと一息するなかでこれからの忙しくなるであろう畑やらの準備をしております。
神子の森、ほんと美しいところ〜
美しい農村の風景が未だのこる村。こんな美しい風景に惹かれてやってきた私たち。

まるで桃源郷のようで、畑仕事をしながらウットリとしておりました。
覆い茂った草たちを刈り取りながら、次の命のための肥やしに。
神子の森の畑は2年目となりますが、少し土地の個性が分かってきたので、育てる野菜たちもその土地にあったものを選びます。やはり肥料に頼らない自然農法での野菜づくりは、土地との相性が最も大事。肥料の力で野菜を育てるのではなく、その土地で育ちたいと思う野菜たちを育てるといった感じ。だから雑草たちは自らの力で肥料もなく元気よく育っていくのですよね。

小麦もそだっています。以前にも挑戦した小麦だったけど、こちらも土地との相性が合わず作ってなかったけど、神子の森の畑で再挑戦。ならこの通りの育ちっぷり
自前の小麦でおうどん作りたいなあ〜。これが夢。でも夢じゃなさそうよね。

私の今日の仕事は主に土工事。里芋ゾーンをつくるために、畝をつくり変えます。
ここでの里芋づくりは始めて。それまでは小鴨部の田圃で尋常じゃない量の里芋をつくっていたから まあたいへんでした
ここではそこまで求めず、手軽にできる量をと思っています。そういっても来客やらお土産やらに里芋はよく使うので、それなりにやっぱりいるかなあ・・。

春は心地いい畑作業が私たちの主の仕事。家づくりの方もあと暫くしたら、嵐のような日々が待っていそうだから休息をかねつつ春の畑仕事を楽しもう〜っと

徳さんの手織り畳表工房。。

 ご報告がちょっと遅くなりましたが、徳さんの手織り畳表工房の工房開きのお祝いを行ないました。工房開設をお見守りくださいました方々へのお礼を込めてささやかながら工房開きのお祝い。

ここまで来るのに長かった〜
でもここ神子の森というこれ以上ないぐらいに素晴らしい地に工房を構えることができました
時にはタオルの廃工場で産業廃棄物の山に囲まれながら機織りをしていた徳さんでした。でもそんな工場でも機織り機を置かせていただけるだけでとても有難かった私たちでした。たくさんの方々のご支援をいただきながらやっと心落ち着けて機織できるこの地に工房を構えることができましたこと深く感謝いたします。
まだまだ機織そのものはこれからいくつもの課題があります。さて、いったいいつになったら皆様に自信をもってお出しできる畳表ができるのか・・?
失いかけようとしている物を繋いでいくことの難しさをつくづく感じながら歩んできた、ここ3年間です。しかしだからと言って簡単に手放してはいけないというものがあるんだよという事を、これから伝えていきたいと思っています。

工房開き、そう私たち夫婦にとっては人生のひとつの節目となる大きなイベントでもありました。仲間たちに支えられながら、そして神子の森の心温かい方々に支えられながらの工房開き。
初の60人前のお持てなし料理は、全て旬のお野菜たちで手作りしました。う〜んこんなことめったに経験できません。本当に良い学びとなりました。女が強くなるなあ
餅つきを全面的に仲間に任せ、途中料理の仕度も仲間たちが手伝ってくれてなんとかお昼に間に合わせることが出来ました。持つべきものは共に歩む仲間です
料理の仕度に追われていた私は餅つきの光景を見ることも写真を撮ることも出来ず、写真がアップできず残念

村でも60人が集まる会食などずっとなかったことなので、神子の森の方々も張り切ってシシや鹿肉やおうどんで場を盛り上げて下さいました。
まるで一昔前にどの村にもあったかのような山里の賑やかな村の光景が再現されたかのようなひと時がそこにありました。お年寄りから若者までもがひとつの喜びのなかで暮らしていた頃の村の光景。互いに支え合いながら助け合いながら生きていた頃の村の光景を。そこには私たちがずっと探し目指していたものがありました。

『仲間たちと共に生きる村構想』をイメージし始めた頃は、理想の地で自然に寄り添った暮らしを仲間たちと実現をしていければと考えていた私です。しかしここ心温かい村の人たちと出逢いお付き合いさせていただくことで、それも変わってきました。村の人々と、新たにこれから村に入ろうとする者との垣根を取り払って暮らすことが出来るのであれば、もっともっと素敵な村づくりができるかもと

今回の工房開き、実は村の方々の心温かい空気を、これからこの地に移住するであろう仲間たちに感じて欲しく、私的にはちょっと仲人のような気持ちが密かにありました。その気持ちを仲間たちも逃すことなくちゃんと感じ取ってくれたみたいで「こんな村に住みたい!」と

あとは空き家問題。。住めるような空き家が出てくれば、どんどん村に入りたい若者は山ほどです
玉川、神子の森おもしろい村に今後なりそうですよ

そうそう、徳さんの工房開きのようす玉川ネットの森ともさんがブログにupしてくださいました。餅つきの光景など、本当に素晴らしいぐらいに素敵!
互いに支えあいながら助け合いながら喜びを分かちながら暮らしていきたいものです。。
http://tamagawa-net.jp/tamagawa/kikimimizukin/2013/04/13/%e5%b1%b1%e9%87%8c%e3%81%ae%e5%b7%a5%e6%88%bf%e9%96%8b%e3%81%8d/

化学物資過敏症 キッチンリフォームその後のその後。。

さあ、キッチン台の搬入
オール無垢材のキッチン台は、かなりの重量となり運ぶのが大変そう。
先日、大人買いをした山桜を使っての製作となったのでこの重さ。国産の山桜なんてなかなか手にはいらなくなってきましたから、Mさんはちょうどタイミングよくラッキーでした
輸入材は原木で輸入されるときに薫蒸処理がされたりするので不安です。どういった所の材料か出所がつかめない分、安心と言えません。国産材でどういった製材所が原木から挽いているか分かれば不安な事も問いあわせできます。それは何よりの安心に繋がります。その上でもちろんMさんに材料は事前チェックをしていただいて材料を決めました。桜材は過敏症の方々にとっても楽な方が多いです。当初のブラックチェリー(輸入材)より山桜のほうが匂いがないことが私にも分かりましたもの。

引き出し内部も、杉材またはステンレスのワイヤーバスケットを使用しています。
用途に合わせて使い分けができるように。以前のメーカーキッチンより引き出しをたくさん増やして、収納量も倍増しています。メーカーキッチンでは大きな引き出しが3つあっただけ。この方が引き出しに使う金物量が圧倒的に節約できます。今回の引き出し数は8箇所。時には浅く時には深く、使勝手も考えてつくっております。400万近い大金をはたいてキッチンリフォームした挙句が化学物質過敏症+再リフォームです。Mさんには「あ〜再リフォームして本当に良かった!」と思っていただける物に仕上げたい

機器類(フード・食洗機・コンロ・電気オーブン・照明器具)もいれてメーカーリフォームの2/3でお釣りが十分に帰ってくる本物素材のキッチンリフォームとなったはずです。今回キッチン台(背面の食器棚を含む)は100万円もいってませんので、どれだけちゃんとした手仕事はそんなに高くないと言うことがいえるか知ってもらいたいところ。今の時代、ちゃんとした仕事は決して高くないです。いえむしろ大きなメーカーさんと比べて安いのです。昔ながらの家づくりをしていて思うこと度々。
ここいつも指物仕事によって無垢でキッチン台をつくってもらっている職人さんからよく聞きます。自分が80万で見積もりをしたキッチンは、大手ハウスメーカーを介すと、その金額の2倍も値段が化けてお客さんのもとに見積もりがいくそうなのです。

家づくりで度々思うことは、「坪いくらですか?」と金額だけを聞かれる方がいます。しかし金額だけ聞いたところで本当は何も分からないという事。本当はその中身を知って金額を知ろうとしなければ何ひとつ見えてこないという事。結局、家はキッチン台のようなひとつひとつの積み重ねでトータルの金額が出てきますから。「どういった中身の家なのか?どういった仕様なのか?」といった中身を聞くことがまずは最初のはず。それなくして金額だけ聞いて家を建てたら中身がなく、宣伝費や広告費にお金を寄付したような家を建ててあげたという事になりかねません・・

さて今回は指物技術による無垢材のキッチン。指物技術であるからこそできる、合板を使わず身体に有害な接着剤を使用しない無垢キッチンなのです。昔ながらの技術というのはスゴイでしょ
だからこそこういった技術をなくしてはいけないという事。便利さや、効率性や、生産性だけで切り捨てられてきた物づくりの世界です。家具だけに限りません。先に書きましたように私たちが何を生かし何を捨てて、どういった社会にしていこうかといった事に繋がっていくのです。

シンクも綺麗でしょ。全て職人たちの手づくりです。
安易にメーカー品を買うと、そこにあるこういった職人さんたちの技術が育まれない、しいては無くしていく事になるということを知っていただきたく思います。
あと、便利さや完璧さを求めないこと。今の人は経年変化しない不具合がおこらない物を求めます。しかし自然素材のキッチンは扱いひとつで問題もおこします。木のソリも自然の出来事のようにおこってきます。そういった自然を認めない人たちが多くなってしまった結果、不具合の起こりにくいソリも出ない合板へと変わってきたというのが合板普及の理由のひとつでもあるのです。手がかかる子供のように大切に扱ってこそ長持ちします。楽で便利で掃除いらずでなんてことあり得ないのです。問題がおこったらすぐにメーカーの責任にするのも考えものです。
身体に優しい自然の素材はそういった扱いを心得てこそ使っていけると言えるでしょう。

さてさて完成です〜
テレビではまだ完成間近の映像でしたが、こんな感じで完成です。

収納量も抜群な食器棚付き
ビフォー・アフターすると違いがよく分かります。



流れる空気感がまったく違うのが分かります。なんだか優しい空気感になりました。
物から放つ優しい空気。それは作り手の優しいエネルギーの現われだと感じるところ。。
木で作られた物だから・・というより、工場製品によって作られた物と、手づくりとでは何かここに目に見えない雲泥の差のエネルギーの違いがあるように感じます。
化学物質過敏症中度の患者さんもマスクなしでこのお台所にはいれたという事で、ひとまず合格のお墨付き

さてここでお気づきの方がいるかと思いますが、室内は木の仕上げ。
いわゆる建築基準法で言うと火気使用室は内装不燃にしなければならず、本来なら不燃のボードもしくは木部は不燃塗料を塗って仕上げなければいけないところです。しかし化学物質過敏症の方はそういった範疇で物を選択できません。だからこの仕上げはいわゆる建築基準法違反となる訳です。
しかしこれは法の不備といえます。ボードを使えない人達だって存在するという事を、法サイドも理解をし法づくりをしなければいけないところであります。建築基準法違反という肩身の狭いところに化学物質過敏症者を追いやるのではなく、そういった人々にも対応した心遣いが法整備に必要ではないかと思います。

お役所の方・・、内装不燃、建築基準法違反、文句があるようなら言ってください。
建築基準法が定めるホルムアルデヒド濃度基準以内により、化学物質過敏症を発症してしまった方のキッチンです。まず責任を取っていただいてから、対応をさせていただきます

こういった現状も皆様、知っておいてください。。
今後も、化学物質過敏症と住まいについてもお話をしていきたいと思います。
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化学物資過敏症 キッチンリフォームその後。。

 先日の化学物質過敏症をとりあげたテレビ愛媛の放送は、まさにM邸のキッチンリフォームのことでした。
実はまだ私はテレビ放送を見てはいないんだけど、ビフォー・アフター的にキッチンのリフォーム例をのせていただいたようで番組を見た人にとってはビジュアル的にも化学物質過敏症とその引き金となる環境について説得力があったのではないでしょうか。

さて出遅れてのブログ紹介となります。まずはその後の様子。
大工さんによって室内壁は板張り工事をおこないました。
今回は杉の白太部分のみをつかった杉板を使用。杉材に反応する過敏症者は多いのですが、匂いの少ない堅木類となると値も張ることもあって、まずは手近で入手できる安価な材を探しました。
杉は赤身の部分に油が多く当然匂いもその部分に杉特有の揮発臭がします。なので杉は杉でも白太部分のみのサンプルを取り寄せました。
Mさんは当初から杉の匂いがダメではないかと気になっていましたので、用心のうえに用心をしてサンプルを準備してしばらく手元で身体への負担を確認してもらいました。
その結果、大丈夫そうと判断。もしダメなようなら柿渋で封止をしようという事になり、柿渋も念のためにサンプルで確認。化学物質過敏症の方々のリフォームは、確認・確認・確認。これ抜きには考えられません。一度にわっと急ぎでやってしまうのが、まず一番の失敗のもと。急がば回れとは過敏症者のための言葉でもあります。安心して息を吸う場所もない過敏症者にとって焦る気持ちはよく分かるのですが・・無駄にお金を捨てるか、悪化するか、運良く大丈夫?といった危険な賭けになります。

さて大工さんによって板張りをしてもらいます。
今回は下地の封止はおこなわずいきます。築20年以上経っているということで、下地の揮発物も少なくなっているだろうと判断しました。ただ先日の解体で出てきたパナホーム仕様の板はちょっと匂いがキツイと判断、そこだけはアルミで急遽封止対策をおこないました。こういった見極めが化学物質過敏症対策には大切となります。

その点においては、私自身の暮らしも日ごろケミカルな物をほとんど使わない暮らしをしていることもあってケミカル臭にはとても敏感な私たち。そんなこともあってこんな所で日ごろのケミカル不使用な暮らしが役に立ってます
たぶんそこら辺の化学物質過敏症の方々より、ケミカルを使わない暮らしをしています。
う〜ん、住環境整備+暮らし指導もしていかなければいかんのかなあ
過敏症者でも見ても見てられない暮らしをしている人も多いですから。

大工さんの方はいつもはボード仕事・合板仕事には一切手を染めない、伝統建築を作っている大工さん。私の無理なお願いに、こんな大工冥利とはかけ離れた仕事を引き受けてくれることに。
おかげで板張りでほぼ完璧な封止効果が出たみたいで、過敏症中度の患者さんも確認をしてくれて「ぜんぜん体調不良がおこらなかった」と大工さんの丁寧な仕事に感動をしていました

そして兼ねてから製作していたキッチン台の設置です。
ステンレス天板の下地は、当然、合板ではなく無垢の天然素材です
オールステンレス エコキッチン最高級の安心といった謳い文句で、しかも化学物質過敏症対策キッチンといった誇大広告のクリナップとは対照的に、見えない下地までちゃんと無垢の木をつかっていますよ

ステンレスにしても出来ない物がないというぐらい特注製品で好きな造りにできます。
もちろん日ごろから特注ステンレスでお世話になっている方々だからこそ無理難題にしっかりと答えてくれるのでもあります。
通常は合板下地にボンド接着によってステンレスのポコポコ感を無くすのが普通のよくあるキッチン。クリナップの『最高級の安心のエコキッチン』もこれでした どこが最高級なのか・・普通やん

化学物質過敏症者用のキッチンには合板およびボンドは使えません。だからこそ見えないところに工夫が盛りだくさんなのです。安全だったら少々は見た目や使い勝手が悪かろう〜では、職人達は納得しません。やっぱりそこが職人です。少しでもいいものをつくりたいと、ボンドを使わないことで生じる不具合を精一杯アイデアでカバー。
なんてことない普通だったらコーキングひとつで逃げれる仕舞いを、そう簡単にはいかないのです。考えれば建築はコーキングだらけです。もちろんコーキングで逃げるのが当たり前のようにコーキングを使います。でないと隙間が当然あちこち空いて隙間からゴキブリやらが入りやすいキッチンになります。そういった事を見えない裏で、あーでもない、こーでもないという話し合いがされてキッチンが出来上がりました。

一言でいえば、本当は化学物質過敏症でない物づくりのほうが、ずううううーーーっと楽・らくなのですでもそれじゃあ駄目なのです。物づくりの現場が変わっていかないのです
次の段階は如何に安全な物づくりをしていけれるかという段階に入らなくてはね。当たり前のように安全な物がある社会にしていかなければいけないのです。おかげで職人さん皆勉強させてもらってます。過敏症者の仕事なんて引き受けない限り、職人さんたちはそんな病気があるのかさえ身に染みて理解ができません。仕事をすることで職人たちは肌で理解をしていくんだと思います。

過敏症者のサンプル探しに木材屋さんを数軒あたったのだけど、どこもが突き放すような考え方にちょっと唖然としました。心の病?過敏症は考えすぎの宗教?商売にならない・・ 
こんな時にその会社の本当の姿勢が見えてくるものがあると感じました。

本当は誰しもが『安全』な社会を願うはず。でも現状はまったくの逆です。見渡せば『安全』は二の次三の次で安全な物を探すほうが難しいです。それだけ社会の価値観には、まだ『安全』という言葉がないのです。でもそれは消費者自身も値段だけで物を買ったり、便利さだけで物を選んだり、デザインだけで決めたりしているという事も、こういった社会をつくる大きな原因のひとつとなってます。
さてあなたの欲しい物は・・?あなたはいつもどんな基準で物を買ってますか・・?

長くなりそうなので、キッチンリフォームのその後の様子はまたの次回に。
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