根を下ろす地へ。

 さてずっと長い間、自分たちが根を下ろすための地を探してきた私たち。
神子の森に徳さんの工房を構えて以来、この地がとても気に入り、生涯住まう地として空き家を探してきました。そしてこのたびついに!ずっと思い描いていたステージに!
神子の森のお隣、奈良の木に移住先が決定しました

本当は神子の森に住みたかったけど、神子の森の総代さんも「このあたりひっくるめて神子の森や!」と言ってくれたので決心がつきました。
徳さんの工房は神子の森。住まいは奈良の木。
きっと奈良の木でやることがあるんだと思います

住まいは私たちが思い描いていた以上の住まいでありました。
昔ながらの家づくりを広めていくためにも、しっかりとそして昔ながらの良さを秘めた住まいでなくては・・と思ってもう10年近くずっと探していただけに、ここで出逢うとは!といった感じでした。
しかも「ここに根を張る!」と決めて、無謀にも家を見るまで分からなかったのです。
ご縁というものは本当に不思議ですね〜。探してもなかったのに、向こうからやって来たという感じでした。なんだか最初からここに来る予定だったのではないかな・・と今は思ってます。

そう、さっき「奈良の木でやることがあるんだと思います」と書いたと思いますが、それがこの家を見てだんだんと見えてきました。
設計の仕事をしていると、その家の間取りを見ると、暮らしぶりや生き方の可能性というものが自然と見えてきますが、ホントこの家はまさに私たちに「こんな生き方、こんな暮らし方ができるよ」と語り掛けてくるのです
まさに私たちにとっての新たなステージとしての住まいです
その新たなビジョンについてはまた今度・・、温めつつ少しずつお話をしていきたいと思います。

おっと、でも移住は来年。その前にこの家の荷物の片付けや、修理をしなければいけません
20年近く空き家になっていたらしくあちこち綻び掛けています。
引越しのためには、もうひと頑張りがいりそうです〜
何事も一足飛びにはいきませんね。皆さん修理の手伝いに来てください〜

今年もお米づくり。。

 自然に寄り添って生きるために何より欠かせないお米づくり。
主食となるお米をつくるための稲作も、今や高齢化の波に押され、このままいくとあと数年で日本人の主食をささえきれなくなるだろう。ここ神子の森もお米づくりをしているその多くは高齢者たち。足や手を振るわせ、腰に痛みをかかえ、軽トラックに乗るのにもようやっとと言うようなお年寄りたちが、それを支えている。この状況を目の当たりにすると、あと5年もしないうちに国産のお米などそう簡単に手に入らなくなることが見えてくる。
そこでTPPによって多国籍企業が日本の大地をいいように荒らしまわって、ますます安全な食など手に入らなる事態がきそう・・
食べることさえもたいへんな時代が来るかもしれない。いえ、それは幻想でもなく又終わったはずの昔の話ではなく、これから近い将来に訪れるかもしれないという危機感を感じる。
ずっとそんな思いがあって食べる物は自分の手でつくる。そう、ずっとずっと昔ながらに引き継いできたこの答えにたどり着いた私たち。

お金があっても、食べる物を買えない時代が来るかもしれない・・。
お金があっても、お金は食べることができない・・。
大地を痛めつけ、地球が悲鳴をあげているのにもかかわらず、まだ尽きることのない幻想に追われて生活の向上を目指そうとする私たち。物は溢れ、溢れた物は捨てられていく・・もう十分すぎるほど豊かな日本だと言うのに・・

いったいどこに向かおうとしているのだろうか?
私にはわからない。
それ以上をもとめようとするその先に、本当の喜びがあるのかということを・・。
食べ物や生き物を育んでくれる環境を痛めつけ今があるという現実を、騙し騙ししながら進んでいく。
見るべきことを見ないふりをして、一時の麻薬のような喜びにうつつを抜かし、一体いつまで忙しさを理由に自分を失っていくのか・・。
世の中の状況は見れば見るほどに、一時的処方を繰り返し、致命的になりつつある現象が雪崩のようにそこかしこで起こっている。
だからと言って何かできる私たちではないし・・。できることはただ自分たちが生きるためのお米をつくること、野菜をつくること。そして昔ながらの家づくりを広めていくことだけ・・

結局のところ自分がどうであるかが一番大切だと思っている。
誰かが・・とか、周りが・・とかではなく、自分がどうであるかが一番問われているんだよね。
人を変えることはできないけれど、自分は確実に変えられることできるんだからね。
そんなひとりひとりによって、この世の中の現実がつくられていくんだから。
まずは自分の生き方をちゃんと見つめたい

お米をつくるってなんとも言えないほどの安心感と充足感があるんだよね〜
家族を養う1年分の、またそれ以上のお米が毎年毎年できて蓄えられていく。
生きていくためのお米があるって、何があっても大丈夫!という実感があるんだよね。
それは買って得るのではなく、自分で生産することに、代えがたい喜びがあるんだ。
お金が紙切れのようになったとしても生きられる術があるって、どれだけ素晴らしいことなのか
お金を使って買うことは簡単だけど、それって何かに依存していて、それが無くなれば生きられなくなることを意味しているんだよね。もし自分の手で生きていくために最も大切なものを生み出すことが出来たのなら、これ以上に安心なことはないわけで。なんかお米づくりって、そんな生きている(生きられる)という実感があるんだよね。

私たちのお米づくりが機械を使わないのも、買った肥料を使わないのも、もしそれが無くなってしまったら出来ない自分になってしまわないだろうかと思うから。だから敢えて使わない。
石油に依存することにもなるし。また窒素やリンや有機肥料は輸入に頼っていて地元の物ではないものが大半。地元にある物だけで回していきたい、それが私たちの発想。機械を使わないのも、また苦労ができる若い時だからこそだし。まあかなりストイックな考え方の私たちなんだけどね〜

さて田植えの方は、今年はかなり手抜きをしています。
今年は忙しすぎて、十分に世話も出来ていない状況。でもすごいね苗もちゃんとできた
我が家は基本スパルタです。でもそれは信じているから。何千年という歴史のなかでずっとずっと稲作をつづけてきた土地だからこそ。多くを求めなければ十分に私たちを満たす実りがあるということを。
NPO玉川サイコーさんも、雨のなかなのに取材に来てくれました。地域の方々に見守られながらの田植え、何よりも心強い私たちです

そして田植えには忙しい私たちを見かねて友人たちが急遽、手伝いに来てくれました
機械も肥料もいらないけど、友や仲間の大事さがよくわかるお米づくりです。
昔もそうだった。助け合いながら生きていた!
人間一人なんて生きられない。とくに自然とともに生きようと思うのならなおのこと。
そのことを感じさせてくれるのもお米づくりです。ありがとう!


おかげさまで1日半で1反3畝の苗が植わりました
自分たちだけだと、3〜4日は掛かっていたのは確実・・、ホントありがとう!
4年目のお米づくり、初めての地、神子の森で、
お米づくりがはじまると、生活にハリが出るような気がします
楽しみです!
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