前夜祭。。


 満月の夜・・
ヒジキ狩りの前夜祭がおこなわれました。。
友人たちを誘ってのヒジキ狩りです。
みんな自然の恵みが大好きな仲間たち。。



みんなのために、その日の朝2時起きで採ってきた海の幸を振る舞って、賑やかな前夜祭。お料理やら寝具の準備やら掃除やらで、その日は朝2時からフルに来客準備の私たち。
でも天然の地牡蠣や、採れたてワカメのサラダ、イタドリなど自然の恵みを使った料理、そして我が家の里芋を堪能していただけたようで私としても何よりでした。。

お持てなし好きの私。喜んで頂くのは喜びでもありますし、また何より自分も気持ちがイイ。器ひとつにしても、そんな日はちょっと洒落た器をつかうだけで、自分自身がどこかに食べに来たような気分になれます。ん〜、自分で料理して、自分で堪能しているんだから、なんて安上がりなのかしら!(笑)
以前、ヒジキ狩りに来られた友人は「旅館に来たかのようにとっても癒された」と、今回も「銀座の?料亭のようだわ〜」と。まあ、天然の地牡蠣は、きっと東京ではウン千円するかというシロモノばかりだから、しかも山ほど!

自然の恵みは本当にありがたいです。。
とてもとても贅沢な食卓。。

きっとお金を出すのなら、こんなにも買えないし、こんなにもお腹いっぱいには食べられないでしょう(苦笑)。こんな贅沢なお持てなしなど、とてもとてもお金がかかるので出来ません・・。自然の恵みだからこそ!そしてたくさんの知人やご近所に地牡蠣など溢れるほどのお裾分けをできるのも、お金で買う物でないからこそ。
こうやってつくづく、みんなの喜ぶ姿をみて、本当の豊かさはお金では買えないなと確信する日々。
お金がなくとも、豊かな自然さえあれば、豊かに生きていけれる。。
いえ、お金があるほうが不自由かも・・

誰かが言っていた、、「農家は、お野菜がたくさん収穫できたからとお裾分けをするが、サラリーマンは今月給料をたくさん貰ったからと言って、お裾分けをすることは、まずない。」と。。お金というものの寂しさ虚しさを端的に語る言葉だと思う。。
お金ってなんだろう?お金を稼ぐためにがむしゃらになるって・・。
本当にそこに豊かさがあるのか・・

ヒジキ狩りも、日々、仕事の忙しさに流されていたら出来ないこと。。
自然を謳歌するためには、まず何より心のゆとりが必要だから。。

ひとまず・・私たちは、半農半設計で、必要以上のお金は稼がず、自然の移り変わりを楽しむゆとりをもって生きていきたい。
そう、自然の恵みとみんなの喜ぶ姿を見て、感じる私でした。。

休日は。。

今日からこちらのブログに引っ越しです
以前の日記は、ホームページの『過去のAASTUDIO日記』にありますのでアクセスください。。


さて 休日は薪ストーブでベーグルづくり。。
この頃、家づくりのほうも落ち着いているという事もあって、保存食づくりやパンづくりに勤しんでいる私です。。

我が家では電気オーブンや電子レンジや電気ポット・炊飯器にいたるまで、ありません。
あくまでも暮らしはシンプルに。。
溢れかえる電気製品に埋もれて電気に依存するような暮らしは、原発に依存する暮らしだからでもあります。。
原発は、100万年という長い年月をかけてもその放射性物質をもとの放射能量にもどす事はできない核のゴミをだします。
そのゴミの処分の目途さえもつかないまま原発を造っては稼動させているから『トイレなきマンション』と言われています。燃料となるウランを採掘するのに、多くの原住民が放射能被爆の被害をうけ、そのウラン鉱石から取り出せる燃料はごく僅かといった不効率さ。火を燃やさないからという理由で『CO2を排出しないクリーンなエネルギー』と表面的な事だけを宣伝している政府のやり方に、ちゃんと真実をみつめる必要があります。原発を支持するような暮らしは、命と未来の犠牲のもとに成り立っているのです。。
だから出来るかぎり電気に依存しない暮らしをしたい。便利な電化製品はなくても十分に暮らしていけるのですから。便利さに依存しないほうが、もっともっと心を満たし、いま失いかけつつある豊かさを感じさせてくれるような気が。オール電化は、多くのものを失う気がします。。

  

さて前書きが長くなりましたが、ベーグルづくり。
手づくりは心が温まりますね。とくに「薪ストーブの火でパンが焼けるなんて〜!」っと、気持がほっこりしてきます。暖をとりつつ、パンやお菓子がやける。こういう無駄のない暮らしがとても心地いい。
薪ストーブのうえでは、ベジポトフが煮込まれて冬のお野菜たちがホコホコに。
幸せな気分です。。
毎日の小さな幸せの積み重ねを大切にできるようにしたい。
そう思う今日この頃です。。