今年もお米づくり。。

 自然に寄り添って生きるために何より欠かせないお米づくり。
主食となるお米をつくるための稲作も、今や高齢化の波に押され、このままいくとあと数年で日本人の主食をささえきれなくなるだろう。ここ神子の森もお米づくりをしているその多くは高齢者たち。足や手を振るわせ、腰に痛みをかかえ、軽トラックに乗るのにもようやっとと言うようなお年寄りたちが、それを支えている。この状況を目の当たりにすると、あと5年もしないうちに国産のお米などそう簡単に手に入らなくなることが見えてくる。
そこでTPPによって多国籍企業が日本の大地をいいように荒らしまわって、ますます安全な食など手に入らなる事態がきそう・・
食べることさえもたいへんな時代が来るかもしれない。いえ、それは幻想でもなく又終わったはずの昔の話ではなく、これから近い将来に訪れるかもしれないという危機感を感じる。
ずっとそんな思いがあって食べる物は自分の手でつくる。そう、ずっとずっと昔ながらに引き継いできたこの答えにたどり着いた私たち。

お金があっても、食べる物を買えない時代が来るかもしれない・・。
お金があっても、お金は食べることができない・・。
大地を痛めつけ、地球が悲鳴をあげているのにもかかわらず、まだ尽きることのない幻想に追われて生活の向上を目指そうとする私たち。物は溢れ、溢れた物は捨てられていく・・もう十分すぎるほど豊かな日本だと言うのに・・

いったいどこに向かおうとしているのだろうか?
私にはわからない。
それ以上をもとめようとするその先に、本当の喜びがあるのかということを・・。
食べ物や生き物を育んでくれる環境を痛めつけ今があるという現実を、騙し騙ししながら進んでいく。
見るべきことを見ないふりをして、一時の麻薬のような喜びにうつつを抜かし、一体いつまで忙しさを理由に自分を失っていくのか・・。
世の中の状況は見れば見るほどに、一時的処方を繰り返し、致命的になりつつある現象が雪崩のようにそこかしこで起こっている。
だからと言って何かできる私たちではないし・・。できることはただ自分たちが生きるためのお米をつくること、野菜をつくること。そして昔ながらの家づくりを広めていくことだけ・・

結局のところ自分がどうであるかが一番大切だと思っている。
誰かが・・とか、周りが・・とかではなく、自分がどうであるかが一番問われているんだよね。
人を変えることはできないけれど、自分は確実に変えられることできるんだからね。
そんなひとりひとりによって、この世の中の現実がつくられていくんだから。
まずは自分の生き方をちゃんと見つめたい

お米をつくるってなんとも言えないほどの安心感と充足感があるんだよね〜
家族を養う1年分の、またそれ以上のお米が毎年毎年できて蓄えられていく。
生きていくためのお米があるって、何があっても大丈夫!という実感があるんだよね。
それは買って得るのではなく、自分で生産することに、代えがたい喜びがあるんだ。
お金が紙切れのようになったとしても生きられる術があるって、どれだけ素晴らしいことなのか
お金を使って買うことは簡単だけど、それって何かに依存していて、それが無くなれば生きられなくなることを意味しているんだよね。もし自分の手で生きていくために最も大切なものを生み出すことが出来たのなら、これ以上に安心なことはないわけで。なんかお米づくりって、そんな生きている(生きられる)という実感があるんだよね。

私たちのお米づくりが機械を使わないのも、買った肥料を使わないのも、もしそれが無くなってしまったら出来ない自分になってしまわないだろうかと思うから。だから敢えて使わない。
石油に依存することにもなるし。また窒素やリンや有機肥料は輸入に頼っていて地元の物ではないものが大半。地元にある物だけで回していきたい、それが私たちの発想。機械を使わないのも、また苦労ができる若い時だからこそだし。まあかなりストイックな考え方の私たちなんだけどね〜

さて田植えの方は、今年はかなり手抜きをしています。
今年は忙しすぎて、十分に世話も出来ていない状況。でもすごいね苗もちゃんとできた
我が家は基本スパルタです。でもそれは信じているから。何千年という歴史のなかでずっとずっと稲作をつづけてきた土地だからこそ。多くを求めなければ十分に私たちを満たす実りがあるということを。
NPO玉川サイコーさんも、雨のなかなのに取材に来てくれました。地域の方々に見守られながらの田植え、何よりも心強い私たちです

そして田植えには忙しい私たちを見かねて友人たちが急遽、手伝いに来てくれました
機械も肥料もいらないけど、友や仲間の大事さがよくわかるお米づくりです。
昔もそうだった。助け合いながら生きていた!
人間一人なんて生きられない。とくに自然とともに生きようと思うのならなおのこと。
そのことを感じさせてくれるのもお米づくりです。ありがとう!


おかげさまで1日半で1反3畝の苗が植わりました
自分たちだけだと、3〜4日は掛かっていたのは確実・・、ホントありがとう!
4年目のお米づくり、初めての地、神子の森で、
お米づくりがはじまると、生活にハリが出るような気がします
楽しみです!

春はいろいろと事件。。

春は野山に山菜を採りにいったり、頂いた竹の子をゆでたりと畑の合間に忙しい。。
そんななか神子の森の総代さんの集落への若者移住者受け入れの取り組みがニュースになることに。そこで私たち移住者にも取材がまわってきて、北野家は自宅リフォームの取材や奥さまの鋳造の作品づくりの取材などがおこなわれたのでした。

我が家のほうも取材を受けることになって、徳さんのほうの手織り畳表の機織の様子や、私の畑作業の様子を撮っていただくことに。

そこまでは良かった・・。北野家取材、畑作業取材待ちの合間に、ノコノコと一人で工房に用事があって来て見ると・・なな、ななんと!蜂の巣箱を置いている箱から、日本ミツバチの分蜂が始まっていたのだった
(※分蜂:蜂が親元から巣別れして多くの蜂を連れ伴って巣立っていくこと)
蜂の分蜂時期は知っていたけど、他の蜂仲間からはもうすでに分蜂が終わったと聞かされていたので、我が家も今年は分蜂に立ち会えなかったと思って残念がっていた矢先の出来事だった

分蜂する蜂を捕まえて新しい巣箱に導くことで、飼育の数も増えていくのだから絶対にこの機会を見逃すことは出来ない。正直、一人かなり焦った私
箱はあるけど、徳さんを畑まで呼びに行く暇もなく、また捕獲のための道具もなく、策を練るけどこのままではすべがない・・
急いで取材中の北野家に飛び込んで、ひとまず網がないか聞くと、運良く物入れから古い網が出てきたのでした
これで腹が据わった、ひとりで捕獲に挑戦することに
捕獲は始めてだけど、以前二度ほどは蜂仲間がやっている様子は見ていたし、蜂も刺すことなく優しく捕獲できれば、10分ほどのすんなりといく捕獲作業である
のハズだった

箱をセットし、塊になっている蜂の群れを網で優しくすくい取って、それを巣箱に移すという簡単な流れ。がっ!しかし・・優しくすくい取った蜂の塊が網にかなりの重量でドッサっと落ちた瞬間に、網の底が破けた〜!!!!
ぎゃああ〜、網が朽ちていた〜
たくさんの蜂がこっちに向かってやって来た〜のだ!
蜂の集中攻撃にあい、刺される刺される刺される
始めて蜂に刺されたかも・・しかしそんな事いってられない、こうなったら任務遂行あるのみである

破けた網をしばり直して再挑戦、しかしやはりまた破けて蜂に刺される刺される
でも少しずつ蜂を新しい巣箱に移せているかも・・?
3度ほど挑戦して蜂の塊もだいぶ少なくなってきた。(上の写真)

そこで徳さん登場〜 待ってました〜 畑に帰ってこない私を探しにきたのだ。
期待大にしたのですが・・あんまり近寄らない徳さん。
「網と防護のネット買ってこないと」だって・・・
えっ?だってそんなの待ってたら逃げちゃうし〜 あと少しだし

という事でらちがあきそうになかったので、引き続き私が捕獲作業をすることに
徳さん、側で見るの巻
おいおい、どっかそれ図がちがうんじゃないの〜と思いつつも、そんな余裕はなく。
ちょっと刺されつつも手馴れてきたのもあって、作業を続行。

そうこうしているうちに蜂たちも危機を感じたらしく、もとの巣箱に帰り始めたのです。
私が移した新たな巣の蜂たちも同様に、もとの巣箱に。あ〜完全に惨敗です・・
まあ、いっか。完全に失敗だけど、そのせいで分蜂は伸びた訳で、きっと明日また分蜂だから、道具や心の準備もそれまでに整うだろうから

お陰で蜂に顔を刺されまくり状態
えっ、この後すぐにテレビ撮影だったけえ〜
このブログを見た人だけが知っている、取材前の私の事件簿となってしまった。さてニュースでどんな顔をしてるんだろう〜

かなり刺されて蜂の針を手で抜きました。抜ききれなかったけど。
でも想像していたより、蜂に刺されるの大丈夫かも私。
いやはや、またまた女が強くなってしまいましたわ
えっ、明日はやっぱり私が最挑戦なのかな?まあ、ほっとけないし

良い子の皆さんはくれぐれも真似をしないように、お願いをします
春は思いがけない事件が多いですね。。

新たな地、神子の森で4年目のお米づくり。。

 4年目のお米作りが始まりました
徳さんの手織り畳表工房を構えた神子の森という地で、新たなるお米づくり。
集落の上のほうに位置するこの田圃はダイレクトに山の沢から水が自由にひける場所。こんな理想の場所を探していました
そしたらここ田圃の持ち主さんも、田圃を誰かやってくれないか探していたところでありグッドタイミング

肥料を入れないお米づくりなので、山のミネラル分が豊富に下りてくる田圃が私たちの理想でもありました。そして乾季でも水の枯れることのない場所。
今までやっていたところは時折、水が来なくて・・
ときどき知らないうちに水が来なくなったりしていて田圃が干上がった事も・・
昔は水で争いが起こったというのを嫌と言うほど感じた3年間でした
でもこういった体験も必要であったということを感じます。

まずは苗床をつくって、種おろしです。
十分に落ち葉を施す時間がなくて、今回は手抜きしてます。
我が家はポットに撒かず、直播スタイル。
大地のエネルギーを直にもらって苗が大きくなっていきます。
その分、あとで苗分けの作業がたいへんなのですがね

今年育てるお米は、古代米である黒米・神丹穂米・緑米・白米(仮称)と、主食となる松山三井とササニシキの6種。そのうち麦のようにノギのあるお米が神丹穂米・白米(仮称)となります。
神子の森の美しい風景に、古代にタイムスリップしたかのような赤や黒や緑の稲穂がたなびくことを想像するだけでワクワクしてきます

白米・仮称と書いたのは、実はお米の名前が分からなくて・・とりあえず白米と・・。
実は古代米で赤や黒の穂が出るなかで、白い穂が出るお米があると聞いて、友人のネットワークを借りて取り寄せてもらったお米。白い稲穂、さてどんなお米なのか?こちらもワクワクしているのです。
赤や黒に混じって白とは、ちょっと村でも話題になりそうでしょ

古代米大好きな私たち。ノギのある古代米は、イノシシもあまり食べたがらないというのが私たちの推測。獣被害も考えられる田舎での、ひとつの解決策となれば、いいかな。そうなると主食は全て古代米となりますね
まあどこまでいっても昔スタイルの私たちなんだけど 
なんか昔の物づくりって意味あることが多かったのは常々感じるところで、そんな知恵を借りたいと思っている次第です

パラパラと撒いて、あとは土を掛けて出来上がり。
水も撒かず、翌日降るであろう天からの恵みの雨を待って
お米という生きていくうえでなくてはならない大事な主食を育てるという快感は、つくった者にしか分からない喜びがあります。
多くをもとめず、ただただ生かされているという感謝のもとで。。
さあさあ、始まりますよ〜

これからの時期。。


 家づくりもひとまずひと段落をし、徳さんの工房開きも終え、ひとまずほっと一息するなかでこれからの忙しくなるであろう畑やらの準備をしております。
神子の森、ほんと美しいところ〜
美しい農村の風景が未だのこる村。こんな美しい風景に惹かれてやってきた私たち。

まるで桃源郷のようで、畑仕事をしながらウットリとしておりました。
覆い茂った草たちを刈り取りながら、次の命のための肥やしに。
神子の森の畑は2年目となりますが、少し土地の個性が分かってきたので、育てる野菜たちもその土地にあったものを選びます。やはり肥料に頼らない自然農法での野菜づくりは、土地との相性が最も大事。肥料の力で野菜を育てるのではなく、その土地で育ちたいと思う野菜たちを育てるといった感じ。だから雑草たちは自らの力で肥料もなく元気よく育っていくのですよね。

小麦もそだっています。以前にも挑戦した小麦だったけど、こちらも土地との相性が合わず作ってなかったけど、神子の森の畑で再挑戦。ならこの通りの育ちっぷり
自前の小麦でおうどん作りたいなあ〜。これが夢。でも夢じゃなさそうよね。

私の今日の仕事は主に土工事。里芋ゾーンをつくるために、畝をつくり変えます。
ここでの里芋づくりは始めて。それまでは小鴨部の田圃で尋常じゃない量の里芋をつくっていたから まあたいへんでした
ここではそこまで求めず、手軽にできる量をと思っています。そういっても来客やらお土産やらに里芋はよく使うので、それなりにやっぱりいるかなあ・・。

春は心地いい畑作業が私たちの主の仕事。家づくりの方もあと暫くしたら、嵐のような日々が待っていそうだから休息をかねつつ春の畑仕事を楽しもう〜っと

自然のめぐみたち。。

 日々、家づくりのほうも充実した毎日をおくっておりますが、こちら農的な暮らしも楽しんでいる毎日

マコモの栽培に今年は挑戦をしました。そんなマコモたちもこんな風に立派に収穫期をむかえました〜。っと・・言ってもほとんど全くといって良いほど栽培には手がかかりませんでした。ん〜私たち向きでしょ

 

マコモは浄化力がすごく水質改善にも良いらしいのです。そしてマコモの体内には400度の熱を加えても死ぬことがない黒穂菌がいて、身体の有害物質・腐敗要素を分解し、体外へ排出させるという身体の浄化(デッドクス)にも効果があるそうなのです。
たくさん採れるマコモは、友人・知人にお裾分け。手がかからないからお裾分け野菜にもってこいですね もちろん農薬や肥料も使いません。身体に美味しいものは、まず身体に良い物でもありますからね!

そして家の裏の野良ばえ野菜たちも、このとおり!
私の大好きな冬瓜たちは、畑のいたるところでゴロゴロ。ありがたい〜野良ばえ様
もう幾つ収穫したか忘れたほど、時には抱えきれないほどの大きさの冬瓜様であります。もう『様』なしには呼べませんね
夏野菜たちが終わるちょうど端境期からの収穫、とても助かります。そして冬の終わりまで保存がきくから、これまたありがたい。我が家の冬の鍋には、この冬瓜様が入ります。



そして野良ばえ瓢箪カボチャ様も収穫期にはいりました。こちらも冬瓜さま同様にまったく手をかけていないお野菜たち。肥料もなく、世話もせず、ありがとうです しかも大量に

こちらも友人・知人・ご近所さんにお裾分け品となっていきます。我が家だけではとても消費しきれないですからね。これこそ本当に自然のめぐみですね!

お次はミョウガ様。はい、こちらもあまり手をかけなくても(何もしなくても)収穫できる野菜さまです
ミョウガ様も年々、地下茎がのびて勢いが増していってます。
スーパーでは小さなパックに納まるミョウガ様も、我が家では毎日毎日、大量の恵みを与えてくれます。。贅沢にミョウガだけを丸ごと揚げた天ぷらを、大根おろしと生姜のはいった温かい天つゆで食べるのが大好き〜ミョウガだけを大量にいただきますよ 
旬の時期だけにできる贅沢といっていいです。その贅沢は、季節ごとに野菜の数だけあります。大地に足をつけて生きる暮らし、どこまでいっても豊かですね
こんだけ勝手にできる野菜たち、自然の恵み。みなさまも、育ててみてはいかがですか

神子の森にGO!

 理想とする暮らしをするために神子の森にGO!
いえいえ、今回は神子の森の隣の集落、奈良の木にGO!です

神子の森の総代さんがずっと私たちの移住のために動いてくれていて、しかしなかなか神子の森で条件にあった空き家は見つからず。そこで総代さんの構想も、『神子の森・奈良の木・古屋之谷・日の浦』の4地区をふくめての構想にかわってきました。狭い神子の森だけ若者たちがはいって来て活気付くのではなく、周辺の4地区全体が活気づいていくための壮大な構想にかわりつつあるのです。。

私たちが徳さんの畳表工房を神子の森に場所を構えてからというもの、なんだか総代さんは使命感を帯びたように動いてくれています。「若い人たちがはいって来ないと、あと5年後にはこの集落も駄目になってしまう。新しい風を吹かしてほしい!」そんな想いのもとここ1年、猛烈に動いてくれています。いつもお逢いする時には、分厚い資料が準備され、行政サイドから引き出せる施策や、若者受け入れに対する支援策など、総代さんが走りまわり調べつくしたと思われる資料が渡されます。それが毎回、毎回ですから、その半端でないパワーは頭がさがる思いです

総代さんは、一端は都会に出ており、県で働いておられた方。そして定年後、故郷の神子の森に帰ってくることに。そういった外に出た経験もあって、神子の森(いえ、農村部全体)がかかえる課題を手に取るように理解されている。「このままではアカン」しかし実際・・そういっても解決策はなく、犬の糞尿の処理に走りまわったりなどの雑事のなかで、少し気持ちが萎えていたところ、私たちとの出会いがあったのです。
「僕は県職員やったときも問題解決派の人間やったからね(笑)。まあおかげで上手に出世はできんかったけど(笑)。」
まさに需要と供給ではありませんが、互いがのぞみあう関係。そして総代さんも今までの経験をいかすべく村のための一大事業のようにあいなった訳であります。
神子の森の人々たちも同様に、村のために燃えてくれています。受け入れに対する歓迎の雰囲気は、新規転入者にとってはありがたいもの 私たちも今まで散々、移住のために田舎を見てきたけど、なかなかよそ者を簡単に受け入れるところは少ないです。そういったことが集落の未来をより狭め自分達の首を締めているのは否めなかった
でもここ神子の森が素敵だなと思えるのは、村の人々が温かいということ。そして考え方が先進的であるということ。今まで見てきたどの集落よりも、ヒト的にこの集落が気に入ってしまった私たち。
そんな温かさにふれ、総代さんや村の人々たちと一緒に、この村を良くしていきたいという気持ちが増していくのです。。

しかし・・神子の森に条件のあった空き家はなかなかなく、この構想は4地区に範囲が広がっていくことに。神子の森ならず他の地区『奈良の木・古屋之谷・日の浦』を共に良くしていこうというものに。
またこれは今後、若者の新規参入によって農村が新たな展開をはかって『新しい風』による農村部の活性化をはかるモデルとなっていくようにとの総代さんの願いもはいっています。私たちも大賛成これからの時代の農的な生き方・暮らし方・住まい方を発信していく拠点としては申し分のない所。モデルになりたい人と(笑)、モデルにしたい人、そしてそこに行政からも賛同者が現れて、なんだかちょっとこの頃、神子の森すごいです
総代さんの使命感はただならない。見ていて水をえた魚とはこの事のように、いきいきとしている総代さんなのです

さて、奈良の木の総代さんも、神子の森の総代さんと話の価値観が合って、新規移住者をこころよく受け入れる方向で動いて下さることに。奈良の木は神子の森より深刻な過疎化が進んでおり、この構想に名乗りをあげてくれた集落。動きは早く、さっそく空き家を見学させていただきました。ありがたい〜

期待半分だったのだけど、どの家々も申し分ないほどに立派!
一軒一軒まわるたびに、見学に同行したすでに移住しているK家と北野家の「いいねえ!いいねえ!」の尽きぬ声と、はしゃぎまわる私たち
今回は、我が家と、村構想を当初から一緒にしているU家の家さがし。これなら
とてもいい家ばかりなので、あとは持ち主さんに了解をえて、内部を見せてもらうことになりました。
早ければ今年中に決まるのかなと、わくわくします。

しかも造りが立派な家もあって、私たちがずっとずっと想い描いてきた住まいと重なります。
あ〜、もう心臓がバクバクしますね。夢がいよいよかたちに!いよいよかな〜

自分を創造する。。

今日はちょっとテーマを替えて、ディープな長い独り言です。お気に召さない方は飛ばしてね。。

今いろんなところで自分探しをしている方が多いので、なんだかこのテーマで書かなきゃということが降ってきました。
『自分を創造する』
我が家には日々、色んな方々がやってきます。きっとこのテーマにぶつかっている人が殆どです。そしてホームページとかを見たり、知人から聞いたりして何故だか我が家にやって来るのです。
私たち自身が”したいことありのままの自分”で生きているので、それがどうやら引き寄せるらしい

30代になれば人生迷います。
「本当にこれでいいのかな?このままこんなことやっていてもいいのかな?」って。
後戻りできる最後の年齢だからかもしれません。もちろん人生なんていつでも後戻りはできると私は思ってます。でも体力・気力のある30代のほうが転換するのにしてもしやすいのは確かです。

さて、その人生転換に対して、なりたい自分をまず想像してみることが大事です。
それまで学校教育→サラリーマンと、人生を社会のレールに乗って生きてきた人(多くの人はそうですね)にとって、案外これって難しい話です。なりたい自分をイメージする、想像するって、まずは自分のことを知らないと出来ないんですよね。
何が幸せ?何が喜び?何が好き?何が嬉しい?何が楽しい?
自分自身の中から沸いてくるものに向き合うということです。
小さなワクワク感でもいい。

そこに社会の価値観や他人の価値観は必要ありません。
自分自身が『いいなあ』と感じえることが一番大事です。
またこのときにあまり頭で考えすぎないこと。現代人は頭で考えすぎます。不安や心配ばかりが頭を横切って、また転ばぬ先の杖で計算をしてみたりして、自分自身の内面から沸いてくるものに耳を傾けることを恐れたりもします。
社会の価値観に縛り付けられてきた私たち、だからその社会の『常識』を外れることをとても恐ろしがったりもします。他人がどんな風に自分を見るか、評価するかもとても気になって、本当の自分に向き合うことができなかったりも。そうやって育てられ知らず知らずのうちに植えつけられたものが、自分自身に向き合うことを邪魔します。

言っておきます。人生、立派な地位につくことが目標ではありません。またたくさんお金を稼ぐことでもありません。自分自身が今生をどれだけの喜びをもって後悔ない生き方ができるかが真の価値をもちます。それは自分だけの尺度を必要とします。ようは自分の魂(内なる自分)を輝かせることが出来たかが大切です。

売れない役者でお金はないけれど、自分の夢を追って胸を張って一生懸命生きている人は輝いています。しかし社会はそんな人を「いつまでも夢や理想ばかりを追いかけて・・」と落第者的な見方をします。逆に、そんな彼が自分の夢をあきらめお給料をたくさん貰っても、自分を殺しつつ渋々サラリーマンとして生きたとしたら、その人の内面の輝きは失せてしまいます。
今の現代人の多くは、社会が引いたレールに乗っかって生きている人が多いです。だから本当の自分を見出すことなく、自分を殺して生きています。しかしその結果は、やり甲斐・生き甲斐がなく、自分が生きている価値さえも見出せず、自らの命を絶つという行為へと発展したりもします。自殺者が急増し、年少者にもその傾向が出ているのは、あまりにも社会の価値観を強要した社会となっているということです。これはとても危険なことで、未熟な社会であるという証拠です。
それぞれがそれぞれに輝き生きること、それが何よりも最も素晴らしいことなのです。それを認めず、『常識』やお金や地位だけを尺度に他人を計ることは、もっとも低いレベルでの社会といえます。

自分がそこにやり甲斐・生き甲斐を感じる生き方が、いま問われています。
人がなんと言おうと、そんな生き方をつらぬきとおし、胸を張って「自分はこの仕事が好きだ!」と言えることが素晴らしいのです。
まずは自分が幸せになること。世界平和は、まず自分の内から始まるのですよ
自分が幸せに喜びに輝きだしたとき、不思議とそこからこぼれ落ちるもので周りにいる人も幸せにすることができます。輝いている人を見るだけで、勇気や元気を貰うことがあるでしょう。また教えられることも。
自分が悶々としていたら、自然と・・怒りや不満や八つ当たりが出てきて、他の人を傷つけることになります。内なる自分が愛で満たされ、喜びに満たされた時、自然とそこから愛がこぼれ落ちていくことになります。

自分が幸せになること、それは貪欲に、また自分勝手に生きるという事に繋がるのでは?と誤解をされる時があります。でもそれは大きな間違いです。
欲で生きるというのは、自分の内面の喜びや幸せに向き合って出てくるものではなく、社会の価値観や他人の価値観を求めた結果、また自分の心配や不安を埋めようとした結果に出てくる部分です。
自分の内面の喜びや幸せというものは実はとてもシンプルで純粋性の高いものでありますから、そこを見つめれば見つめるほど、多くを求めなくても十分に満たされる自分が出てきます。
社会の価値観や他人の価値観で生きる時は、もっともっとと・・際限ない欲に振り回されます。まったく満たされることのない次から次へと欲が沸いてくるのです。それは本当の自分が満たされていないからでもあります。

誰もが自分を創造することができます。
なりたい自分を創造することが。
不安や心配を抱えた自分を想像したら、そういう自分を創造してしまいます。
出来ない自分を想像したらそうなります。
自分を信じてあげれないことほど寂しいことはありません。
想像は創造です。
内なる自分に向き合い、自分の本当の喜びや幸せをみつめ、他の人の価値観や社会の価値観に揺れることなく、自分を信じてあげること。そういう生き方を選択する自分を信じてあげること。
そこからが自分を創造するはじまりです。

信じることが、最も実現するための力となります。
誰でなく、自分を信じること。
それまでは世間や常識を信じてました。
でもここからは自分を信じるのです。
信じることで、実現化のためのすべてが準備されます。

できる、やれる、そのための事をする です。
想像したもの、信じたものが、現実化します。
誰もがその力をもってます。ただ誰もがその力を信じないだけです。
信じないと力は生まれません。

そしてあとは行動のみ。
行動をすることで、自分の内を確認できます。
力がわいてくるようなら真。
時に揺れる自分もあります。
それは信じる自分を強くしていくもの。
そこに喜びがあるのなら信じていくしかない。それでいいじゃない

ひとりひとりが輝きだしたとき、素敵な未来がまっていると思います。
がんばってください。。

今年一番の惨事、涙、涙・・

 お米づくりのほうも順調に、分蘖も良くって、一本植えの苗が大きな株に育って、お米づくり始まって以来の一番の上出来な生育状況に・・なってました・・・

それがこの通り・・
イノシシに荒らされ無残な姿に・・
最初は・・、こちらもお米づくり同様に立派に育った里芋スペースにイノシシが出没!
里芋の足元にある紫蘇を根こそぎ全部ひっくり返しては、土中のミミズを食べた様子。
そこまでは良かった。「紫蘇ぐらいなら〜」と思っていたら、次は里芋をひっくり返して、この惨状・・。
里芋自体には関心がないようで、完全なミミズ狙い!

徳さんが、せっせと落ち葉を取ってきては落ち葉堆肥として、施肥された里芋ゾーンにはミミズも豊富。さぞご満悦であったことでしょう。。
しかし味をしめて、それ以来毎晩のイノシシ出没・・
里芋の半分以上はすっかり掘り起こされてしまって

 

それまでならまだ良かったのだけど、今度はお米まで・・
大事な大事な我が家のお米が!!!
日増しにひどくなるイノシシの横暴な振る舞い。私も徳さんも堪忍袋の尾が
・・っと言っても何かが出来るわけではありません。ひとまずネットで覆うことに。。

今年は、田圃の近くの調整池で大きな改修工事があって、その周辺がイノシシの良い餌場になっていたところを人間が荒らして、イノシシの食べる物がなかったという事。
そう考えると、悪いのはイノシシばかりではないよな〜と、イノシシばかりを責めれない気がしたのであります

そんなこんな我が家の田圃のネット張りも一段落し、ホっとしていたのもつかの間。
今度は神子の森の、kimiちゃんの田圃がイノシシ被害に
こちらも日増しにひどくなる様子。
女一人のお米づくり。見てもいられず、ネット張りを手伝うことに。

神子の森も、今年は24匹のイノシシを捕獲したと総代さんが言っていた。
年々、ひどくなる獣被害。イノシシだけに限らず、猿や鹿、カラスまで。
んんん・・・、なんとか調和して共存できないものか。。

最後に、kimiちゃんの田圃でみつけた青大将の子供です。(苦手な方、お許しを〜)

 

目は、とてもとても優しい目をしています。可愛い〜
嫌われ者の蛇だけど、自然のなかでは大切な役割があって存在している命。
そう思うと愛しくなりますね

イノシシだって、人間の都合でブタと掛け合わされてイノブタ化されて多産に。
そのせいもあって繁殖力旺盛のイノブタが今や農村部では作物被害の原因に。
もとをたどれば人間の都合で、自然の循環が崩れている。
そう考えると、獣被害も、私たち人間の営みそのものをもう一度みつめなおす必要が問われそうです

夏野菜。。

我が家のお野菜たちです〜
どうです。無農薬・無肥料栽培だけど、イイ感じに出来ているでしょ。
今年はキューリが次から次へと出来ます

採っても採ってもキューリができるから、冷蔵庫はキューリでいっぱいに!
もちろん日々、キューリばっかり食です

 

キューリは3品種つくっています。いぼいぼが特徴の『四葉胡瓜』。白いキューリの『相模半白胡瓜』。煮物向きの太いキューリの『加賀太胡瓜』。
上写真のウリのようなものは『ソーメンかぼちゃ』です。今年はじめて育ててみましたが勢力旺盛で、なんと一株から9個ものソーメンかぼちゃが出来ました。我が家に遊びにくる友人たちにひとつひとつお裾分けされていきました。オクラも今年はよく実ってくれましたね〜。
でもそろそろオクラとキューリは終盤です

こちらはササゲ。インゲン豆を長くしたようなもの。長さが40cm〜60cmほどになります。
こちらも鈴なり、勢力旺盛
インゲン育てるより、かなり効率がいいです〜。種採りをして、我が家の定番にしよう〜。

 

お味のほうはと言うと・・、かなり美味しすぎです!
塩・こしょう・醤油だけなのに、お豆さんが甘い〜
インゲンなどの豆類は、採ってすぐに調理することで甘みが際立つんだって。


『ササゲのぺペロン風』
ほんとほとんど塩だけなんだけどあまい〜!
レシピコーナーに伝道入り決定です!


そして今年もっとも力をいれている(つもりの)、トマトはというと・・

がーんん かなぶん達に食べられてます〜 
カラスにも食べられました
しかもカルシウム不足らしく、全体的に『尻腐れ病』となって腐っていってます
仕方なく・・冬に牡蠣を採りにいって食べた後、何かの時にと思って殻を焼いておいた貝灰を補いました。でももう手遅れ気味〜
水分不足で土のなかのカルシウムの吸収ができなくなる『尻腐れ病』ですが、乾燥を防ぐためにしっかりと足元に敷き草をしてあげた方がよいみたい。私は乾燥したお国で育つトマトなので、足元は乾燥気味にしたほうが良いだろうと草を掻き分けて、わざと乾燥するようにしてしまったのです。それがあだとなった訳。来年は貝灰をいれて敷き草をしてトライですね。失敗の積み重ねでお野菜さんたちを知っていく機会に。一年一年のこういった積み重ねが楽しいお野菜栽培です。

でもなんだかんだとこんなに収穫が
保存用のトマトソースを作るだけの量はとても無理そうですが、パスタ料理にマリネなど、自家用でしばらくは楽しめそうです。ありがたいことですね。

そして・・我が家の裏の畑。
野良ばえ冬瓜や野良ばえ瓢箪かぼちゃを野放しにしていたら、すごい事になってます
占領され尽くされています
はっきり言って足の踏み場がないです
でもこれからキューリが終わっていく時期、冬瓜たちがキューリに変わる我が家の貴重な主食になってくれます。

 

畑のあちこちでゴロゴロと白い物体。これが冬瓜。デカイです!
サラダに煮物や汁ものの具材として何にでも利用できます。しかも来年まで保存がきくのでそれが一番ありがたいことです。お野菜不足の時に、あれば助かる冬瓜は私の大好物〜
さて、こんな我が家の畑もそろそろ秋野菜の準備をしなければいけない時期にはいってきました。
暇をみつけつつ・・

梅雨の晴れ間は忙しい。。

 梅雨の晴れ間は忙しいです。。
って昨年も同じタイトルで書きましたっけ
今年は例年になく特に雨が降ります
だから晴れ間は、貴重〜
晴れてくると身体が、デスクにジッとしていられません。そわそわ、そわそわ
そして伸びに伸びきった田圃の草取りに

はは〜すぐに飛んでいけれる仕事体制がいいでしょ
そんな我が家は農家ではなく設計事務所です
数年がかりでこういう体制にしてきたところ。
家づくりも変わったし、生き方も暮らし方も変わりました。
お金や時間に追われる暮らしではなく、自然に添うことをベースにした暮らし。
それが昔ながらの家づくりだったり、農的な生き方だったりします。

一本一本手植えされた稲たちもずいぶんと大きくなりました。
勢いよく分蘖をしています。
機械で植えるために育てられた苗とは違って、手植え前提なので出来るだけ根も傷まず、しかもしっかりと穴を掘って根を地面に活着させられるから見るからに勢い(生命力)が違う感じがします。1本植えでも立派に育っていきます。

そして草のほうも見事に育っておりますよ
稲か草か?を見極めながら草取りをしていきますが、こぼれ種から勝手に発芽した野良ばえと、ひこばえ(刈り取った稲の株から生える新芽)が予想外の量あちこちに点在してあって、それもさらに生かすことに。これがうまくいけば来年からは苗を植えなくても勝手に育ってくれるのでは?という甘い期待があるのです
茅(かや)などの類は勝手に年々、株が大きくなっていきますから、イネ科である茅がそうなら稲も・・という訳 いずれ一抱えできないほどに育った稲穂を収穫している私〜 ウシシシ

水に浸かっての草取りは案外きもちがいいものです。
チャプチャプという水音をさせながら、もくもくと作業。
若い稲のうえをわたる風。空には流れゆく雲。きらめく水面。
自然のリズムに身をゆだねます。
梅雨の晴れ間は忙しいけど、なんだか気持ちはのんびり
太古の大昔から変わらない光景がここにあると思うと、昔も今もひとつに感じますね。。