いよいよ『風薫る家』の熱い建前です!

 いよいよ待ちに待った『風薫る家』の建前です!
水木棟梁の独立後、初の大仕事となり、慎重のうえ慎重を重ねて刻みをやってくれていました。相方で棟梁サブとして一緒に刻みをしてくれた大石さんも、同じような想いで進めてくれました。。
墨付けから刻みに、半年ちかく。

 

妥協を許さないお二人。見えなくなる部分までもピッチリと
誠実なお二人の人柄がよく出ていると感じます。。
昔ながらの家づくりは、経験豊富な大工さんでさえビビッて引いてしまうぐらいの仕事です。若いお二人にとっては、それ以上のプレッシャーがあったかと思いますが、ひとつひとつを確実に進めてくれていました。
そして最後の仕上げは、水木棟梁の兄弟子さんが応援に来てくれて手鉋(手カンナ)で一本一本削ってくれました。胸には『削ろう会』という文字!削ることに命を燃やしているような大工さんです。そんな方に削っていただいて光栄です。
今のほとんど全ての家づくりでは機械が削ってくれますから、本当にありがたいこと。


 

広い工場も、あっと言う間に木材に埋め尽くされ。

そしてお二人の仕事ぶりが、いよいよカタチに

建て主さんからの挨拶をうけて、建前がいよいよ開始されました
建前の応援にきてくれた大工さんたちも、ほとんどが30代で、みな水木さんや大石さんと同じ一匹狼でやっている方々。こういった昔ながらの家づくりの貴重な機会に、若い大工さんたちに大勢触れていただける機会が出来て、私も建て主さんも嬉しいかぎり
昔ながらの家づくりは、次なる世代を育む場でもありますから。。

さて地組みから。。大きな梁や柱を、ある程度、地上で組んでいきます。

大きなカケヤの音が、コーン、コーンとなり響きます。ココはかなりの街中。辺りをマンションが埋め尽くすなか、まるでこの一角だけが突如現れた異次元空間のような空気。
近くでは鉄骨造の大きな建物が建設中で、こちらはキーン、カーン、ガシャーンンという鋭い金属音がして耳にひびきます・・。でもここは、コーン、コーンとカケヤで木をたたく音。街中なのにどこか和やかな空気感が漂い、道行く人々も立ち止まっていきます。

集まった大工さんたちも、地組みにカルチャーショック!
まあ何から何までも今時の家づくりとは一風ちがいます
床組みも立派です。昔ながらの家づくりは床から組むこと、足回りをもっとも大事にします。
土台とともに足固めがはいり足元を固めます。そして同時に足元も2階の梁組みと同じように組みます。人間も足腰がもろいと、すぐに身体が駄目になります。家も同じなのです。。

 

しかし今回はアンカーボルトを設置・・・
悪しき法で、もっとも命をまもるための万が一の策、足元をずらすことが禁じられているのです。
先人たちはあたりまえにしてきたこと。想定外の地震力が働いたときに、柱の足元が基礎に連結されていないことで、ホゾや差し口に無理をきたす前に、力を逃がすことが出来た。これがどれほど自然の理のなかで、木の家に重要な意味をもっていたことか・・。
しかし今や、これを実現しようとすれば多額なお金をつかって高層ビルクラスの構造計算や難解な確認機関を通さなければならなくなってしまった
悪法ここにあり!

今、建築業界でもこのことについて、業界団体や認識者たちが悪法を改善すべく動いています。
そのときまで・・。将来的にはこの金物を外すことを前提に。石場建てにできるような設計を今回はしました。難儀な法律にいつも頭を悩ます設計者です。。

しかし・・金物やアンカーボルトが人の命をまもるのではありません。
それは法律や保険が、命を守ってくれるのではないということと同じです。
大工さんたちの本来のしっかりとした仕事が、住む人の命をまもるのです。
いつもどの時代も、法律は後手です
むしろ健全さをいつも邪魔しています・・。本当は誰がみたって本物は分かります。

道ゆく人が、職人さんに「この家は300年もつね」と言っていかれたそうです。今時の家づくりで300年待ちますねと言えるような家があるでしょうか。
そう、昔ながらの家づくりをしていると、みんな口をそろえて「やっぱりこれが本当やねえ」「強そうやね〜」「いい家やね〜」って口を揃えて言っていきます。みな、素人さんなのに
それだけ本当の仕事って言うのは、モノは言わないけど、迫力や説得力があるんですよね。専門家でなくったって分かるような力が。
私たち設計者自身が本物を見て体感して、「やっぱりこれや!」っと、変わったのと同じように。。
そこには本物だけがもつ力があるんだと私は感じます。。
今回、応援に来てくれた大工さんたちも、それを誰よりも肌で感じたようです。

法律どうりに家が建ったとしても、本当はもっとも肝心なことが抜けている世の中・・。
命をまもる。しっかりと造る。長くもたせるということ。あたりまえのこと。
時間がかかっても、手間がかかっても、一番に健康や命が大事では?
いえ、お金が大事〜・・なの?
建築業界にいて、感じる疑問です・・。

さて熱い熱い建前、2日目に突入です。。

静かに熱い刻み中。。

 

『風薫る家』の刻みが、静かに進行中です。
「お金に囚われて、職人としての心まで失いたくない。」
そんな若き棟梁との出逢いにより、
今回昔ながらの家づくりをお願いすることになった『風薫る家』。
棟梁としては始めての大仕事になります。昔ながらの家づくりは熟練の大工さんにとっても大仕事であり、きっと大きなプレッシャーもあるでしょう。
しかし私としては未来に繋ぐべき次なる世代を育てていくことが家づくりの最重要課題でもあります。熟練の年寄り大工に任せる方が、設計者としてもお気楽に安気でいられますが・・しかし若い世代が育っていかなければ一時の安泰でしかありません。それは今の家づくりの現状を見るにつけ今生きる人がしっかりとしなければ先がないことを感じてしまうからでもあります。
安く早く手間を抜いて効率優先で家づくりがされてきた現代、職人本来の技術や智恵は確実に失われていってます。みな日々のお金の仕事に追われ、足元をみる余裕がないのです。いずれ家づくりでは職人と呼べる人はいなくなって、既製品やメーカー住宅しか建てられない時代が来てしまうだろうと・・・危機感を感じています。

同時に・・それは自然に寄り添いながら生きてきた私たち自身の生き方そのものを失うことを意味しています。失えば・・この地球において私たち自身も生きられなくなる事でしょう。

昔ながらの家づくりは、技術を繋いでいくための貴重な場だと思っています。仕事の機会を与えることで職人さんたちは生かされます。生きる環境がなければ、生命と同じく死んでいきます。
この愛媛でこれから先もずっと、木と土の自然にも人にも優しい循環していく住まいを、子供たちへと繋いでいくためにも、一軒一軒の家づくりを通しながら職人たちを育てて遺していかなければと思うのです。。

建て主さんにとっても本当は熟練大工さんの方が気持ち的に安泰でしょうが、誰しも”初めて”を通り越して成長していくもの。懐を大きくして見守ってくださっています。
そう、、昔ながらの家づくりを取り戻すために家づくりを始めた当初、若き私たちをずっと見守って育ててくださったのも、建て主さんの大きな懐があってこそでした。そのことに今でも感謝が耐えない思いでいます。
そして今でも昔ながらの家づくりは常に『育ての場』には変わりません。家づくりそのものまだまだ成長をしていっています。課題もあります。そして先人たちの物づくりの域に到達するには、まだまだ。
家づくりそのものを建て主さんと共にえていく育てていく、それが昔ながらの家づくなのです。

水木棟梁の相方として家づくりに関わってくれている大石さんも、職人としての熱い志をもたれている方。今どきの家づくりに嘆きつつ、お金よりも良い仕事をしたいという思いで日々おられて、ご縁の導きがありました。こういった若者がまだまだ何処かに残っているんですよね。
若き二人の純粋さが引き合わしたと言いましょうか、いえ目指す方向が同じだから出会わせたのでしょうね。二人ともこの大仕事を前にプレッシャーもありつつ、でも「勉強になる。ありがたい。楽しい!」と言ってくれます。

刻みもとってもとっても丁寧 見えなくなるはずの仕口も隅から隅まで「綺麗〜!」と声にあげてしまうほど。時間はかかりますが本当は見えなくなる部分がもっとも大事でもあります。こういった手間暇を惜しまず仕事をしてくれるという事が、一番に家のため建て主さんのためにもなるんですよね。
ひとつひとつを大事にしてくれながら出来上がる家、それが建て主さんのためにならないハズがありませんよね。

「丁寧な刻みをしたから家が高くなる」という事ではありません。多くの人は誤解をしています。
職人として自分が許せる自分が納得する仕事をする。職人さんとしてはただそれだけなのです。その気持ちはプライスレスなのです。それが本物と言える仕事、職人だと思います。。
そのための場を提供するか否かは建て主さん次第なのであります。

お金お金と言っている人にかぎって、ちゃんとした仕事ができない人ばかり。
これは職人さがしでつくづく感じた次第です。

お金よりも、まずは心。
心技体の言葉が教えてくれるように、まずは最初に心がなければ技術も浮いてくるし身体にも染み付かない。何事も始まらないのです。それを強く感じます。

心のある職人さんたちとともに、これからの未来ある誇れる家づくりを
和(輪)になって繋がって広めていきたい。

喜びの灯火が和(輪)になってひとつにつながった時、美しい世界がまっていることでしょう。。
夢みて一歩一歩、心ある者同士が支えあい歩んでいる最中です。。

地鎮祭。。

 『ゆとりの家』につづき、『風薫る家』も地鎮祭を執り行いました
天気予報では雨の予定だったにもかかわらず、やっぱりついている!
お天とさまも味方についてくれての地鎮祭となりました。
いつも地鎮祭は心があらたまります。
カタチではなく、やっぱり目に見えない世界で、私たちを見守っていてくれている存在=神さまがいると私は思うから。。
人間はひとりでは生きられない。他とのつながりがあって生かされている存在です。
『他』とは人間だけの狭い世界ではなく、土であったり、雨であったり、木々や草木や、そこらへんに何気にいる虫たちだったりします。また私たち人間が理解できない世界、まだ認識されていない世界で多くの万物がつながりあって働いていて、そのどれもが欠けてはいけないぐらいこの地球という世界は調和しているのです。
そんなまだ人間が未解明な知らない世界があるということを、先人たちは目に見えないから否定するのではなく敬ったのだと感じます。それを八百万の神といった表現で呼んだかもしれません。
そんな気持ちのあらわれが地鎮祭であったり、大地の目に見えない生き物たちにさえ、心つかったりしたのでしょう。。
だから地鎮祭では、心あらたまります。。
そんなつながりの大切さを感じるから。。

さて、今回の鍬入れの儀。
神事用の木で作られた鎌と鍬と鋤を忘れてしまって
これでは式にはならない〜

っと焦ると同時に
農的な暮らしをする私たちの車には、あたりまえのように鎌と鍬と鋤(スコップ)がいつものごとくありまして うまく出来ている!
神主さんは何ら問題ないとの事なので、それを使って鍬入れの儀となりました
なので、鍬入れの儀はなんだか、本格的

私設計者は、鎌(かま)で草刈の真似事を3回行います。
稲は昨年わたしたちが収穫した稲穂を準備しました。
そして『本物の鎌』で刈り取りました。

続いて、建て主さんは鍬(くわ)で盛砂をすき崩す真似事を3回行います。
なんだか祭壇にむかって『本物の鍬』をもって拝礼する姿は、ちょっとユーモラスです。
盛砂を崩す光景も、なんだか本当らしくて良い感じ

最後に、鋤ではないけどスコップで、棟梁が盛砂をすき直す真似事を3回行います。
ほほ、無事終了

神事用の木でできた鎌や鍬や鋤はないけど、これでOK!
神事は本来カタチではないから、毎日つかっている道具で心があればOKなのですね
神様は、それが神事用ではないからとはお怒りにはなりませんからね〜

なんだか心にのこる地鎮祭となりました。。

ガリバーの家?

 『風薫る家』のほうも静かに進行中。。
今は『ゆとりの家』と同じく、墨付けの段階。

そんな水面下で静かに進行している家づくりの様子を建て主さんに見ていただきたく、
他の用事ついでに連れ去って、大工さんの工場にGOしました
っと・・そこにはすでに棟上を終えた家が・・

そしてそしてナント!

まるで異次元空間に迷い込んだように、そこでは私たちはガリバーのような巨人となってしまいました


ほほほ、もちろんそんなことなどあるハズもなく
本当は実物より小さな軸組み模型でありました。
いえ、縮尺1/3という大きな軸組み模型です

今回、初の家づくりの大役を担う水木工房の水木さん。
独立後、初の大仕事でもあり軸組み模型をも作って、入念に検討を重ねてくれています。
手間を考えるとこんなことをやっていると採算に合わないんでしょうけど、独立間もない頃の大仕事というものは確か・・私も採算度外視でした
きっとプレッシャーもそれなりに。でもひとつひとつが自分にとっての大きな学びであり、誰もが通る道でもありますね。
これだけの仕事は一人では無理なので、友人の大工さんたちも助っ人で入ってくれるそうです。
木材量もかなり多く、すべて手刻み。木組みで金物を使わないつくりは、きっと彼らに貴重な経験を与えてくれるはず
『風薫る家』が、良き学びの場であり、そして若い次なる世代の技術や能力を向上させてくれる機会となってくれればと、建て主さんともども期待をし見守っています。

ほほ、だからこうやってガリバー体験ができるのも今回だけかも?
実物を体感できるのですから、こんなすごい模型はありませんね

仕口だって本物そのまんまなんですよ!
リアルすぎる空間を疑似体験して、こんな風になるのね、っと設計者も再確認をさせていただきました。あ〜早く、建前が待ちどおしい!

いえいえまだまだこれから打ち合わせを重ねないといけない事や山ほど
何事もひとつひとつです。。

山のことを感じる木材検品。。

いろんな報告が山ほどあって追いつきません。。
 
『風薫る家』も、建て主さん大工さんと一緒に、山に木材の検品に行ってきました。
こういった一つ一つの過程を大切にしたいところ。またこういった過程をとおして大工さんと建て主さんの関係が深まっていけばと願うところ。。

 

原木は4月には山からすでに降りてきており、梁材等は製材がされていました。
とっても立派な材ばかり。
製材屋さんからは「AAさんの家づくりは、普通の3倍ほどの木材量がありますね」と言われてしまいました。確かに、5寸柱に5寸巾の梁なので、材積が大きくなります。また差し鴨居や差し敷居、足固め、大黒柱と言ったように、昔ながらの造りは一般的な在来工法が無くしてしまった部材も多い。大きな梁が幾重にもかかった昔ながらの家は建て前が終わると木の固まりのように見えます。それに比べ今時の家はマッチ棒で出来た家のように、あまりにも”か弱く”弱々しく、不安に思うぐらい。
いくら建築基準法の壁量がとれていても、想定外の地震には耐えられないな・・と強く感じてしまうのです・・。

製材さんも「こんな家ばかりだと、山側の暮らしも少しは楽になるんだけどね・・」っと言います。昔ながらの家づくりでは、家を100年200年ともたせていくために、まず第一に、良質な木材を使っていきます。だから木材の準備もじっくりです。
今のどんどん回していかなければいけない家づくりは、安普請一辺倒で、木材へのこだわりは全くありません。たまに「B級品でいいから安く売ってくれ」という、製材屋さんも使わないような木材を買っていく住宅メーカーもいるとか・・。
しかしそんな仕事は、働けども働けども暮らしは楽にはならず。それにそこには製材屋としての喜びがないでしょうね・・。

50年生きた材を使って、30年しかもたない家づくりをする。山はすぐにハゲ山になります。
それにせっかく大事に育てた木も、ボードで隠されて見えなくなる造り。そりゃあ、大工さんも製材屋さんもやり甲斐がなくなるでしょう・・。
80年の材を使って100年200年もたせる家づくりをしていくこと、職人たちが自信をもって喜びをもってできる家づくりをしていくこと、それが問われているようです。。

さあ木材検品も終わり、私たちは近場の温泉に立ち寄りました。こういったのもお楽しみ。
お風呂のなかで、建て主さんと家のエネルギー問題や庭のことなどを語りました。。
ひとつひとつを楽しみながら、人生を楽しみながら、スローに家づくり。
温泉につかり、ますます建て主さん・大工さん・設計者も和みつつの木材検品ツアーとなりました。。

『風薫る家』工事請負契約。。

 『風薫る家』が、工事契約と相成りました!
契約っと言っても、書面的な契約は、実はまだ先。
今回は顔合わせにて「一緒に家づくりをしていきましょう。」という気持ち的な契約なのです。



気持ち的な契約?というのは・・、まだこの大工さんが建設業の許可を持たないから、書面的な契約が出来ないからでもあります。
今回仕事をしていただく大工さんは、ずっと以前から気になっていた若い大工さんで、以前日記にも書いたけど、ずっと独り立ちの機会を待ち望んでいました。『風薫る家』は、若手大工さんの一本立ちを支える始めての仕事になるという訳です。。
なので今年1年の木材準備乾燥期間のあいだに、建設業の許可をとったり、工場をかまえたりと、一本立ちの準備をしていくようになります。このご時世です独立するのもたいへん。でも手間請けで仕事をしていたら、自分が心底納得できる家づくりには出逢えません。今のご時世、建材ものばかりの安かろう悪かろうの家づくりに、「もう嫌だ!」と思っての独立なのです。
若い世代を育んでいく家づくりに『風薫る家』がなってくれること、そう名乗り出てくれた建て主さんに感謝いたします。。

昨日は、建て主さん・大工さん・設計者の3者で集まって、顔合わせと、気持ち的契約のために、昼食会を我が家にておこないました。
風邪のためあまり多くお話しが出来なかった私ですが、一言。。
「この3者が互いに手を取り合って、どんな苦難があっても乗り越えていく、良い物をつくっていくという気持さえあれば、そこに問題などは起こりはしません。ともに手をとってイイ家をつくりましょう!」っと。。

 

さあ!これから1年後にむけて準備です!
山からは、天然の素晴らしい杉が手に入るとの連絡が先ほど入りました。
「100年200年持たせていくための木が欲しい」そんな想いを分かってくださるからこその朗報!
今回は山ごと木材を購入して家づくりになりそうです!
どの家づくりも、わくわくする家づくりです!!